『富士山頂』(1970)

●1970年2月28日劇場公開 その後門外不出であった映画が石原裕次郎の二十三回忌特別企画でTV放映されるということで、やはりこれは観ておかなければなと思った。新田次郎の『剣岳 点の記』の公開、自分としても先日『太平洋ひとりぼっち』で石原裕次郎の映画を観たばかりだったのでこれも何かの縁というものか? (最初テレビ朝日はテレビ初放映としていたが、過去に放映があったかのようで修正されていた)

新田次郎気象庁に勤めていて富士山レーダーの設置に関わったということはNHKプロジェクトXで以前に観て知ってはいた。

●確かに、実際に富士山で撮影された数々のシーン、空撮の多さ、ヘリコプター数機によるヘリコプター同士での撮影など、手抜きのない予算と情熱の掛け方は今からみても凄いなこの映画はと思わせるものがあった。

●出演している俳優陣もクセがありつつも実に演技力、味わいのある役者ばかり。

●実際の気象ドームとほぼ同じモノをヘリコプターで吊り上げ、山に運びあげ設置をする場面を撮っているなど映像に対する力の入れよう、リアリティーの追求という部分は凄い。風速90メートルって風はどんなものなのだろう?(台風が来てドームにものすごい風雨が叩き付けるシーンはどう見ても放水車を使ってるという感が拭えなかったが、これはしかたあるまい)

●話自体は凡庸。事実を淡々と時系列で追っているだけで大きな山場を作るような演出もほぼなし。ストーリーの面白さはあまりない。この気象ドーム建設は凄かったんだろうなぁという歴史を勉強しているかのような映画でもある。新田次郎の小説そのものが淡々と事実を追いかけていく小説なので映画も必然的にそうなるか。これは『剣岳 点の記』でも同じような感じであった。

●最後にこのドーム建設に関わった人が九州やらに異動となるという話しで終わるのはなんだかしっくりこない。高度成長期のサラリーマンとはそういうものだったのだよという悲哀なのだろうが、映画としてはこういうラストはどうだろう? 頑張ったんだけれど一つの仕事が終われば、もう次の場所という会社人間の悲哀を描く必要はあったのだろうか? 小説ならばこんなに頑張った人たちもその後は日本全国にちりぢりばらばらに異動させられた・・・で終わっても悪くはないと思うのだが、映画のラストとしてはそれまでの激しい富士山の自然との闘いからストンとへんなところに気持ちを持って行かれるようでいまいち。

●劇中に堂々と三菱やら大成建設という企業名が出てくるのは、実話とはいえ少しばかりうざったい。まあ変な架空の企業名にしたからどうなるものでもないが、余りに堂々と出てくるとなんだかなぁ。もちろんそう言った企業が頑張ったのだろうし、映画のスポンサードもしているのだろうけれど。

●あくまでこの映画は映像のすごさ、こんな映像を40年前に撮ったというすごさに驚くのであり、脚本はそれほど練り上げられているとは感じられない。それとも敢えて妙な脚色はせずに淡々とドーム建設に尽力した人達の姿を描くとしたのかな?

●まあそこそこに見応えはあった。

●映画は映画館でという石原裕次郎の意志で、石原プロの作品はソフト化がされていないということなのだが、流石にもう時代は変わったのだし、良き作品があるのならそれは多くの人に鑑賞されてこそ喜ばれる、そして作った人も報われると思うのだが。『黒部の太陽』は一度観てみたいと思う・・・TV版でもなかなかであったから。

●今日7月5日(日)は国立競技場を使った石原裕次郎二十三回忌の法要まで行われるという。石原裕次郎がトップスターであった時にリアルタイム、同時代を生きていた世代の人にとってはそれほどまでに石原裕次郎というスターは凄かったのだろうか? なんだか不思議だ。

☆作品データ
黒部の太陽』『栄光への5000キロ』と並ぶ、ファン待望の名作が登場! 石原裕次郎、渡哲也、勝新太郎という当代きってのスター3人が共演を果たし、富士山の山頂に気象観測のレーダーを設置しようとする男たちの姿を描いた人間ドラマだ。「映画は映画館で」という裕次郎の理念のもと、これまでビデオやDVD化はいっさいされていなかった作品が、今回満を持して登場。徹底的なリアリズムにこだわり、作品は実際に富士山で撮影された。寒さ、高山病などの過酷な環境の中、撮影が敢行されており、『映画』というものに心血を注ぎ続けた裕次郎の姿をその目に焼き付けることができる!

原作: 新田次郎『富士山頂』 監督: 村野鐵太郎製作: 石原プロモーション

出演:石原裕次郎、渡哲也、山崎努芦田伸介、星由里子。市原悦子宇野重吉東野英治郎勝新太郎