『重力ピエロ』

●立て続けに映画化される伊坂幸太郎原作小説。自分も「アヒルと鴨のコインロッカー」を観るまでは名前すら知らなかったのだが、このところの映画化続きもあり、珍しくこの「重力ピエロ」は映画を観る前に小説を読んだ。精読とまではいかないが・・・。

●レイプ、妊娠、放火、殺人と取り扱われる内容はかなりヘビーであり、これがどう映画に料理されるのか、アスミックの配給ということで今回はTV-CMやタイアップ・プロモ、ネット・プロモもなかなか目だって行われていたし、ちょっと期待していたのだが・・・・残念ながら映画はかなり期待外れだった。

●原作小説のDNAの塩素記号、グラフィティ・アートに書かれた文字との関連、放火事件の記号などはちょいと捻くり過ぎてるなと感じていたが、それを映像で表すのはやはりちょっと厳しかったかのようだ。映画は家族愛というものをテーマにしているが、そもそもはサスペンス。だが、この映画の話筋ではそのサスペンス色はかなり薄い。DNAやグラフィティ・アートの文字の謎がいかにも説明してますよという感じでセリフとなっているし、その謎にもさしたる深みが無い。謎が解明される道筋も「ふーんそうなの」といった感じでさしたる驚きも生じさせてはいない。ミステリーなのにミステリーっぽくないのだ。これはやはり脚本力の足りなさといってしまえるだろう。複雑な原作を2時間枠のなかに押し込めて脚本化しようとしたのだけれど、なんだか筋を追いかけていくだけに必死になってしまい、不思議な部分、謎の部分が深く練りこまれず、薄っぺらな謎解き話になってしまったようだ。

●ラストでは家族愛という形で心を和ませる、少しばかりほんのりとし、涙ぐんでしまいそうな話となり、そこを観るとそれまでの退屈さも「まあ許してやるか」という気持ちにもなってしまうのだが、全体として映画の密度、ストーリーの練りこまれ方、完成度は低いと言わざるを得ない。

●キャスティングに関してはなかなかだったのだけれど。真面目な兄泉水の加勢亮、兄を慕い、かっこいいけれど陰のある弟春の岡田将生、二人の兄弟のバランスは見事。父親役の小日向文世はまあ黙っていても役のまんまのイメージだから温かい父親というには余りに合いすぎているかも。夏子を吉高由里子が演じると聞いたときは「それはぴったりだ」と思ったのだけれど、今回の映画の中では夏子の存在はチョイ役にしかなっておらず、しかも変てこな女の子であり、この役は作品の中になんら重要性を持っていなかった。夏子の役はあってもなくても良いくらいのものだったから、立っているだけで強烈なイメージをビシと感じさせる吉高由里子にはこの役はあまりに小さすぎ。

●葛城の凶暴性だとか、悪人性も出てなかった。

ガンジーの非暴力主義と暴力による問題解決・・・シニカルな対比。言葉で並べると社会性を持ったアジテーションのようにも見えるのだが、映画の中ではそれがテーマではないし、それが強く主張されているわけでもない。これも伏線の一つなのだろうけれど付け合せで出す料理の具財の一つといった利用されているかのようだ。こんな重く深い思想すらも軽々と取り扱われている。この点は原作もまるで同じである。

●そもそもにして映画の作り自体が浅い、練りこまれていない、薄い。冒頭の教室でのレイプシーンにしても、あれじゃ外にいる人みんなに聞こえるだろうというものだし、放火現場のシーンも交通整理する警察官もなんだか緊張感なく、文化祭の演技を観ているような感じ。引越した山の中の家なんて、もうあからさまにセットでしょうと分かる作り。あんな見え透いたいかにも映画用といった作りの家なんてよくも平気で使うものだ。

●ラストでちょっとした家族の温かい気持ちの表現がなかったら、この映画はダメダメだっただろう。監督も脚本家ももっともっと映画の中のリアリティーと真実味を感じさせる作りをしないと、薄っぺらな原作映画化にしかならないなぁと感じた次第、至極残念。