『SAWADA サワダ』(1997) 

●青森からベトナムへ、ピューリッツアー賞カメラマン沢田教一の生と死:グループ現代製作のドキュメンタリー・フィルム.
図書館でベトナム戦争に関する報道写真集、記録集、著作などを探していたところ偶然に見つけた。ある目的を持って行動していると、意図しなくても自然と必要とされるものに近付いていく。そんな感じだった。

●「写真とは光の会話だ、沢田の撮った写真を通してそこにあった苦痛を見ることが出来る。彼らは沢田に傷や苦痛のイメージを与えた」UPIカメラマン。

●「私はくたくたに疲れてしまった。あまりの激しい攻撃に頭を上げることも出来ない。写真を撮ることを諦めた私は地面の上に仰向けに寝転ぶ。戦闘はいよいよ激しさを加えている。夏空は青く、どこまでも澄んでいる。私は青空を見ながらもう一度仰向けになった。兵隊が次々と私を飛び越えて行った。今日の戦闘で負傷した米兵たちの顔が目の前にちらつく。うとうとすると昼間の機関銃、ライフル銃の響きが耳の底に鳴り出しまた目が覚める・・」沢田の手帳の日記

●約時間のドキュメンタリー。ベトナムでの戦争の模様は沢田教一の撮影した写真による静止画で映し出され、根津甚八が沢田の声をナレーションとして担当している。●ドキュメンタリー・フィルムは映画の人為的な演出よりも遥かに見るものに訴えかけてくる絵の力があり、観ていて退屈さや飽きるという感じが殆どしないからあっという間に2時間でも見終えてしまうのが常なのだが・・・この作品は逆に、沢田教一の行き方、ベトナムでのエピソード、そして写真と写真の合間にはさまれた沢田をしる人たちのインタビューがずっしりと重い。映像を観ながら色々なことを考えさせられてしまうと、一気に最後まで観通すことが出来ず、途中途中ブレイクし、考え、そしてまた観なおすということになった。

沢田教一を取り上げたTVドラマ、ニュースフィルム、書物など様々なものがあるが、この「SAWADA サワダ」は内容の濃さ、他のメディアでは語られていない沢田の心情、妻サタの心情などを実に細かく、そして真面目に追いかけている。

●沢田と同じ頃ベトナムで行動していたフリーカメラマン、UPI支局の同僚、上司などのインタビューは貴重なもであろう。UPI香港支局写真部長となったときの苦労、上司との確執、日本人に対する差別、そこから抜け出して再び戦場へ向かった沢田の心情。それらは他のメディアではあまり語られていなかったものだ。

●優秀なカメラマンであっても、世界中には同じように優秀なカメラマンが大勢居る。その中から抜きん出る為には、命の危険のある戦場へ、その中でもさらに危険な場所へ飛び込み決定的な写真を撮らなければならなかったのだとするUPIの同僚カメラマンの言葉が響く。

カンボジアで国道2号を移動中に襲撃され34歳という若さでこの世を去った沢田。UPIの同僚女性カメラマンのインタビューがある。「不注意なんてものは存在しない、危険はそこらじゅうにあるのだから、UPIから送り込まれた者は着いて24時間で撃たれて死んだ、みんな神に召された。沢田は慎重な人だった、不注意なんてものは存在しないのだ」と・・・・。

●今となっては語られる事も少ないベトナム戦争。そして沢田教一という存在を知るにはこのドキュメンタリー・フィルムが最も沢田教一の生きたその航跡をしっかりと語っているものであろう。

●沢田はアンコールワットを撮りたい、民衆の生活を撮ってみたい、戦闘服を脱いで村から村へ歩いてみたい、そういった写真を送りたい。もっと自然とそこに暮らす人を撮りたいと語っていたと言う。戦争を追いかけ続けた一人のカメラマンが思うことは、やはり戦争ではなく、平和を伝えたかったということなのだろう。平和の中に居たかったという事なのだろう。

●香港にはFCCと呼ばれる外国人記者クラブがあるという。その中にピューリッツアー賞の楯と共に、安全への逃避と沢田の写真が飾られていると言う。いまでもFCCはあるのだろうか?訪れてみたい、その場所をこの目で見てみたいと思う。