『そのときは彼によろしく』

●プロデューサーも、監督も、脚本家も「いいんじゃないの?長澤まさみと、人気俳優集めていれば充分人を呼べるよ。細かな設定を気にしてたら映画つくりが大変になっちゃうよ」とでも考えていたのではないだろうか?それほどまでに余りに非合理、不整合、つじつまがあわず、現実性に欠け、オイオイと言いたくなる設定、エピソード、そしてストーリーである。

●この脚本によくぞOKを出したものだと呆れる。この映画の製作陣には、映画を作るということに対する真摯な姿勢などどこにもないのであろう。一昔前の偉大な監督達にこんな映画を見せたら、映画に関わってる”映画関係者”と言われる人物達らは、偉大な監督達に赤面憤怒して殴り倒され照るんじゃないだろうか。

●いわゆる「それってオカシクナイ?」という突込み所はもう数え切れないほどある。脚本を書いていて脚本家は客観的に見て自分達が進めているストーリーの矛盾に気が付かなかったのか? それとも書き終えてしまったらあとは見直すこともしなかったのか?(そんなことはないだろうが)プロデューサーや監督は出来上がった脚本を読んで「これ、オカシクナイか?」と言わなかったのか? この作品を作り出す前に、観客の目、一般の外からの目で客観的に見て、おかしなところを指摘する人は一人もいなかったのか?だとしたら異常である。しかし、昨今の日本映画のプロデューサーや製作委員会などの肩書きに胡坐をかいて、ああだこうだと言ってばかりいるような連中は、キャスティングだけ見て「お、長澤まさみね、それなら人が入るな、あとは任せたからやってくれ。いいのを作ってくれよ」とでも言って脚本を読むことも、話しの筋をたしかめることなどもしなかったのだろう。そういう連中は肩書きは映画関係者だが、映画のことなどこれっぽっちも理解しておらず、接待と金勘定のことしか考えていないのだから。

NHK「プロフェッショナルの流儀」に宮崎駿監督が出たとき、宮崎監督がこんなことを言っていた「映画なんてね、大したことのない理由で製作が決定されたり、却下されたりするんですよ。決定する人たちってのは大したことない連中なんだから」と・・・まさにその通りである。

●監督も脚本家もまだまだ駆け出しのような人ばかり。監督料も脚本料も相当安く上がったことだろう。そういう製作側の低コスト策は脇においておいて、監督や脚本家はもうすこし自分達の作ろうとしているものをきちんと見直したら? いい加減にやってるわけじゃないでしょう。この監督と脚本家にはそう言いたくなる。

●話しがだいぶズレたが、そういうことでこの映画は映画としては及第点にも達しない作品であろう。しかしだ、こと長澤まさみに関しては綺麗に撮影されている。ぷっくらぽっちゃり顔でどうも子供っぽさが抜けない長澤で、アイドルとはいえこの顔のふくらみ具合はどうなんだ?と思っていたのだが、この映画の中では初めて女っぽさが出ている。(売れっ子モデルだとか、そういう突込みどころはキリがないからもう取り上げない)「裏切り御免」なんて言ってる映画よりもこういう感じの役の方が本来合っているだろう。

●年齢も重ねて女っぽさが出てきたのもあるだろうが、カメラマンが良い。そう、この映画、話としてはさっぱりだが、絵はなかなか綺麗だ。ちょっとした夕焼け、水草の緑などが美しくフィルムに収められている。だから、見ていてホッとする部分がある。

●話しはどうしょうもないんだけれど、そこの所を突っ込まないで、御伽噺、夢物語、ファンタジーなんだと思って(それでも話しはきちんとするべきだが)観れば、映画全体に漂うゆるやかな優しさみたいなものは有る。この映画おかしいんじゃない?とは思うけれど、まあ許しておくかという気持ちになる。それは多分カメラマンのよさ、この映画の絵の美しさに拠る所が非常に大きい。

●映画の駄目さをいっぱい書いてはいるが、終わってみると、そんなに嫌いって映画じゃない。全体に流れる優しさ。大目にみてファンタジーだと割り切れば美しい絵と、とげとげしたところがまるでないストーリーはそれほど悪くもない。「ロード88」などもそういう映画だった。

●いいよと人に薦められるような映画ではないが、ふわっとした気持ちでみるならばこれもなんとかアリかもしれない。優しい気持ちにはなれる絵である。