『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』

●「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という何を意味しているのか解らぬ言葉は、イエス・キリストが十字架に貼り付けられ処刑されるときに唱えたヘブライ語の言葉で、「神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」という意味らしい。(マタイ24章6節)

●日本人にはキリスト教神学でも学んでいなければ解らぬ言葉だろうが、キリスト教圏のヨーロッパなどでは割と誰でも知っている言葉なのだろうか?そしてキリスト教に関わる大事な言葉でもあるわけだから、聞けば無視することの出来ない特別な言葉なのだろうか? カンヌ映画祭向けとしては、注目を集めやすいタイトルということになるだろう。海外の映画祭向けに、そういう下心もあって付けたのではないかと邪推するが。

●正体不明のウイルス(レミング病)に感染すると突発的に自殺をするという。このウイルスによって世界中に蔓延し、世の中は希望を失い、恐怖と絶望感に覆われていた。。。。って、映画を観ていてそういう絶望感とか恐怖が殆ど感じられないのだけれど。

●そしてそのウイルスを抑制するのが、ある日本のミュージシャンが奏でる”音”を聴くことだとなる。んーなんなんだ、その子供向け漫画のような、あまりに現実性の無い、突拍子な設定は???? 黒沢清の「回路」「カリスマ」にどうも考えが似通っている。というか黒沢的考えをベースに別の話しをのっけたという感じだ。

●奇妙で、変てこ、監督の頭の中の妄想を映像にしたのでは?いわゆる脳内じゃないのか?と言いたくなってしまった。

●尋常に考えたら、このプロットを聞き、この脚本を読んだら、まともな映画になるとは考えにくいと思うのだが。ユリイカで海外で名前が通った監督と、海外映画祭絡みならいろいろ経験(実績ではない)があるプロデューサーがやってるんだからなんとかなるだろう、という判断で映画化が決定されたのだろうか? そういうお題目だけもらった経験者なんてほとんどロクなものを作っていないというデータを、こういう映画を作る関係者は持っていないのだろうか?それともあえて目を瞑ってる?

●東京FM開局35周年記念作品。第58回カンヌ映画祭「ある視点部門」出品。東京FMもランブルフィッシュ:仙頭に調子よく話しに乗せられて記念作品なんてお題目でお金を出したんだろうけれど、この手の海外映画祭受賞目当ての映画プロデュースは殆どコケているということを実績主義の出資者や映画関係者はいつになったらそれがこの人の真の実績なのだよと認めるのだろうね? まるで企業の階層構造が映画製作に於ける人選にも影響を及ぼしているかのようだ。

●戦後から続く日本人の舶来品偏重主義がなぜか映画の世界ではいまだにまかり通っている。海外映画祭でなんらかの賞を取りましたなんて作品の殆どが映画としておかしな作品ばかりで、日本ではまるで受けず、ほとんど興行コケまくり。いつになったらヘンチクリンさで海外で注目された監督や作品、プロデューサーに「あなたたちには真の実力はないね、だって賞はもらっても実際の興行としての実績、日本の観客の評価がまるでボロボロじゃないの?」と言うのだろう?
(もちろん、いい作品もある。だけれどそれは非常に数少ない)

●奇妙な考えを持った変てこな学生が作った変てこな自主映画、この映画はその同一線上に並んでいる。