『ベオウルフ/呪われし勇者』

●何度か映画化もされている英語圏では最古の叙事詩「ベオウルフ」のフルCGによる映画化。パフォーマンスキャプチャー・データにより、実際の役者の動きをコンピューターに取り込み、それをCGの映像に置き換えている。

●確かにリアル、静止画であれば実際の人物なのか、CGによる絵なのかは区別が付かないほどだ。最初に出てきた王の映像を見たときは、本物の人間かと思った。動きはきわめて実在の人間に近いが、だがやはり細かなところで普段見ている人間の動きとはちょっと違うぞ、という部分があり、それが帰って目立つからCGの映像だと分かる。だが、ここまでコンピューターで人間の映像が作れるようになったら、本当に実際の役者なしでも派手なスタントがすべて出来る映画は作られてしまうだろう。まあ、もう殆どその領域には来ているが。あとはモラルの問題と、その”絵”にどれだけ魂が込められるか、実際の人間が演じるようなの熱が伝えられるかということだ。なんだかそうなっては欲しくないのだが。

●作品としてはもう既にできあがっている叙事詩をきちんと再現しているということで、当然のごとく及第点であり、それ以上でもないというのが残念。(監督のゼメキスは「学生時代に読まされたあの退屈な詩を面白くしてやる」と言っているが、そういう事で言えば、確かに小難しい叙事詩が、そこそこ楽しめる面白さにはなっている。)

●新たな映像的な試みとしてこういった作品を作ったのはいいことなのであろうが、人間を全部CGの絵に置き換えて作る意味は? 人間が演ずるという限界がないわけだから、今までできなかったような登場人物の動き、演出、カメラワーク、映像が作れるわけではあるが、イマイチ気持ちに馴染まないものがあるのは確か。

●あちこち出まくりのアンジェリーナ・ジョリーが怪物グレンデルの母として妖艶な姿を現すが、あきらかにジョリーと分かる顔なのに、少しばかり若く作りすぎ。この顔は美女といえども母親ではあるまい。(勇者、王をたぶらかし、自分と性交させて子を作るため、顔を若く変化させていると善意に解釈できないこともないけれど)

●どうにも、最古の叙事詩という風格には欠ける。ドスンと地に足をつけたような壮大な物語という感じもしない。

●パフォーマンスキャプチャー・データを駆使した新しき映像へトライした作品としては一つの試金石になるであろう。

●「トロン」が作られたのが1982年、世界で始めて全編フルCGで人物までも描き大きな話題を作り大コケした「ファイナル・ファンタジー」が作られたのが2001年。人間の再現という点では「ファイナル・ファンタジー」でも驚いたのであるが、技術は進歩しているものだと痛感させられる。