『ヨコハマメリー』

●自分も噂だけは聞いたことがあったが、詳しくは知らなかった横浜メリーと呼ばれる人物の存在。あえてこういうドキュメンタリー映画の製作に取り組んだというのは、きっと製作会社や監督などにも、この横浜メリーに対するなんらかの思い入れが有ったからなのだろう。

●いわゆる御当地映画というものは一般には知られていなくても結構な数が製作されている。日本各地のその土地々で、地場に根差した逸話や伝説を元に作られる映画だ。小さな離島の漁師の話しだとか、地元に伝わる伝説の話しだとかが多い。そういったものは地元では受けるけれど、全国公開だとかDVD化なんてことはなかなか難しい。あくまで地元が作った地元の為の記録映画的なニュアンスが強い。

●だが、横浜という全国的にも知名度が高く、日本人のほぼ全ての人が知っているであろう町、歴史の舞台にも度々登場し、なにか異国的な情緒を感じさせる町を舞台とし、その町で特異な人生を送った横浜メリーという女性を取り上げたこの映画は、地域限定ではなく、全国的な視聴の可能性もある題材であろう。

●戦後の復興の時期、米軍が駐留し、町にも流れてきた横浜という場所。それは今の横浜駅ではなく関内であった。関内は言って見れば今の銀座や赤坂のような場所であり、飲食、風俗、流行りの中心、発祥の場所でもあった。その場所が戦後のどさくさの中からどうやって立ち上がってきたのか、それは日本の戦後史の縮図を見るようなものであろう。

●横須賀のどぶ板横丁から始まり、関内、伊勢佐木町に辿り着いた一人の娼婦の女性は、派手な衣装と白粉で真っ白くした顔でいつも伊勢佐木町の通りに立っていたという。年老いてもだ。今で言えば、女性のホームレスであるのに。

●なのに、なぜこの人が浜の有名人となり、多くの人の心を掴み、こういった映画が作られる程の魅力を持ちえたのか?一時間半の映画を見ただけではそれは分りえない。だが一つだけ思ったことは、人から蔑まれる女性の体を売るパンパンという商売を続けながらも、住む家もなく放浪しながらも、年老いてとても客など取ることなどできなくなっていても、この人は町に立ち続け、自分としての、一人の人間としての尊厳と誇りを失うことはなかった、一瞬たりとも自分の誇りを揺るがすことがなかった。収入もなく、どんなに人に陰口を叩かれ、蔑まれても、己の、人間、いや女性としての尊厳は微塵も揺るがせなかった。そこがこの人に触れた多くの人に、特別な感情を抱かせるのであろう。

●人間なんて弱いものだ、蔑まれ、厭われ、遠ざけられたら簡単に泣き崩れる。死にたいとも思うだろう。だが、この人の心は一度として折れなかった。いや、きっと悩み苦しみ自分の人生を嘆き悲しみ悶絶を打って歯ぎしりをした夜も数え切れぬ程あるだろう。だが、そんな苦しみに負けなかった、押し潰されなかった。心が折れ、萎んでしまうことはなかった。その強さこそが人の心を打ち、人を引きつけてしまうのだ。自分だったらこんな強く生きることが出来るのだろうかと。

●腰も曲り、老いたメリーさんにも故郷があった、そして受入れてくれる身内もあった。映画の最後で、故郷で老人ホームで暮らすメリーさんを彼女と交流のあった永登元次郎が訪ねる。白粉も派手な衣装もない、本当に素顔のメリーさんは、やはりキリリとした目をしていた。老いて諦めた顔はしていなかった。強い意志をまだ持ち続けていると感じさせた。

●ドキュメンタリーは何故こんなに面白くなるのだろう。ドキュメンタリーは見始めると目が離せなくなる。退屈で途中で見るのを休むなんてことがない。多くの脚本家、演出家、監督が苦労に苦労を重ねて、なんとか観客を楽しませよう、面白がらせようと努力を続けてきた映画。だが、どんなに技巧をこらし、どんなに人を楽しませる(と計画された)演出をしても、詰まらないものは圧倒的に多い。名作と言われるものでも、単純に人の生き方を追ったドキュメンタリーの面白さには敵わない。その根本的な要素はなんなのか? ドキュメンタリーが何故映画に勝る面白さをほとんど全てに持ち続けるのか? 今だそれを解明出来ていない。それがわかれば面白い映画が作れるのかどうか? 長い歴史を重ねてきた映画の世界でもその答えを出したひとは未だかって居ない。