『クライマーズ・ハイ』

映画版『クライマーズ・ハイ』のあまりの不甲斐ない出来に、言って見ればもう我慢しきれず2006年に放映されたNHKドラマ作品を再見した。

●NHKドラマは一話と二話を合わせるとほぼ2時間25分。映画版と同じ尺だ。だが、そのストーリーの重厚さ、破綻の無い展開は映画とは比較にならぬほど見事である。映画版もドラマと同じく1985年当時の話しに現在を所々挿入するという手法を踏襲しているが、ドラマと比べてみると明らかにストーリーも演出も編集も”破綻”がありありと見えてくるのだ。

●ドラマ版と映画版を比較すれば、ドラマ版の優れたところがあれこれ山のように出てきてしまう。特に、映画版では根性の捻くれた只のロートル、ダメ人間として描かれていた局長、部長、次長などが、ドラマ版では大久保連赤を背負っているとしても、北関東新聞社としての、一地方新聞の記者であろうとも、真実を追いかける新聞記者としてのプライドと誇りを持ち続けていることが描かれている。ここが映画版との決定的な違いだ。そして、それこそが横山秀夫が描いていた小説上の登場人物の姿であろう。

●もう映画のダメさとドラマの良さをあれこれ言っても仕方ないとは思うのだが・・・あまりにドラマ版は立派だ、完成度が高い。素晴らしき作品のリメイクでは良いものが出ないという定石があるが、これだけのドラマを、大枚を投じた映画ではまるで越えられなかった。というよりもなんとかこのドラマから離れよう、ドラマとは違った演出をしようと、ドラマと違う方向で映画にしようと無理に足掻いた結果、映画版はボロボロの脚本と、真摯とは言えぬ演出に成り下がったのではないか? 素晴らしき前作から逃げて逃げて逃げ続け、最後には逃げ切れぬと開き直り、諦め、割り切って、只単に一本の映画を仕上げるという”作業”に徹するしかなかった。そこには良いものを作り上げようとする情熱も真剣さも失われてしまっていた、そんな風に思える。

●ドラマ版は新聞社という組織内部での葛藤を描きつつも、一人々が使命感を持った本当の記者として描かれ、2時間を越す長さの中で一瞬たりとも生ぬるさを感じさせる部分が無かった、激しく緊張感のあるシーンだけで構成された本当に硬派な作品だ。

●権力や地位に日和見な部分は人間として持っていても、あの史上最大の大惨事を追いかけるということ、無くなった命に対して真実を見つけ出すこと、そこに新聞社のフロアが一体となっている部分がドラマではしっかりと描かれていた。

●このドラマのなかでほんのちょっとした役ではあるが、新聞社に子供と共に新聞を買いに来た主婦を演じた中村優子のシーン。真実を知りたいと新聞社に新聞を買いに来て、編集のフロアで追い返され、一階の玄関で悠木に引き止められ直近の新聞を渡される。そして「地元の新聞なら一番詳しく書いてあると思った。本当の事を知りたいのです」と伝える。ここはドラマの中でも非常に重要なシーンであろう。このシーンがあって、悠木は何があっても遺族に真実を伝えるのだと心に決め、そしてフロアの全員が決意することに繋がる。こんな重要なシーンなのに、映画版ではなんだかワケの分らぬ1シーンとして流されてしまっていた。

●映画ではすっかり削除された、部下である望月の死。その従姉である望月彩子との再会。そして読者投稿欄こころに載せた「命の重さ」という投稿。なぜ映画ではこんな大切なシーンが削除され、要りもしない米軍とパンスケの下りなどを入れているのか? 呆れるばかりである。

●悠木が抱えてていた、息子との間にある溝、クモ膜下出血で倒れるまでに至る安西の仕事の背景.......TV版がいかに原作を読み尽くし、与えられた時間内で映像として原作の本筋を表現するために、何を削り、何を細くし、何を持ち上げ、何を強調するか、そういった高次な努力をしたということが作品そのものから強く伺える。

●まあなんにしても、改めてこの素晴らしき完成度のドラマ版を見てしまうと、映画版の揚げ足取りは幾らでも出てきてしまう。ここで書いても書いても切りが無くなるほどある。

●映画版「クライマーズ・ハイ」を見て、感動したという人も、自分と同じように全くダメだと思った人も、一度このドラマ版を見て欲しいと思う。「クライマーズ・ハイ」の本当のストーリーがしっかりと理解できるであろうし、きっと本当の感動を味わうことも出来るだろう。

●ドラマ版は新聞社内部の設定も、自然でリアルだ。毎朝の会議の風景も小さな会議室でごく普通のスチール机を囲んで行われている。そうだ、そういうものだよ会議なんてものは。映画版の新聞社内部の風景はリアリティーが無かった、いかにもどこかの広い部屋に都合のいいように机を並べたという感じで、雑然としたオフィスをイメージさせる新聞社というものとは程遠かった。毎朝の紙面の決定会議の様子も局長が演台の様なところに立ち、他のデスクがイスに座っているという変なもの、そうそれで考えれば部長らともみ合いになる飲み会の場所もドラマ版は赤ちょうちんっぽいホルモン焼き屋で、映画版は料亭となっていた。

●この(1)新聞社内部 (2)朝の局長とデスク達の会議室 (3)食事会の場所・・・・これら三つを見ても、ドラマ版はリアリティーにこだわったセッティングだった、そしてそれらの場所はどれもこれも撮影はしにくい狭い場所だった、しかしドラマ版はそこでの撮影を行い画面にリアリティーを出した。だが、映画版はどれもこれも、リアリティーに欠ける撮影はしやすいような場所、机などのセッティングだった。広さもそうだ。

穿った見方をすれば、映画版は映像のリアリティーよりも、撮影のしやすさで場所とセッティングを決めていたのではないか。それは、自分が前日の日記で映画版を「真剣さが足りない」と評した、その理由に繋がる。映画版は作品そのもののクオリティーを追及していない。作品の完成に至る合理性だけを追いかけている、そう思ってしまう。

●ドラマ版の感想を書くつもりが、またしても映画版の批判になってしまったが、仕方あるまい。ドラマ版を再見したことで、映画版を見てからずっと胸に支えていた不満感とかが少し薄らいで流れたような感じがする。ドラマ版のラストは・・・こんな大惨事を描いた作品にも関わらず、極めて爽やかである。

●そう言えば劇場には宣伝PRとして横山秀夫のコメントがポスターに貼ってあった。文章を全て覚えていないのだが、映画を非常に褒め称える言葉がプリントされて貼ってあった。果たしてあれは原作者横山秀夫の本心か? いや、違うであろう。まさか自分の原作が映画化されて公開されるときにその映画を原作者が揶揄するわけにもいかないだろうが、あれは横山秀夫の本心ではないと思う。書かされたおべんちゃらだ。

横山秀夫が小説で描きたかったもの、それを映像にしたものは、決して映画版ではないと信じる、このドラマ版こそが横山秀夫の作品を最も原作に近く具現化した映像だと考える。

●最後に一言、家でTVの画面でこのドラマを見ていても・・・何度も涙がこぼれそうになった。無意識にアゴに力が入って痛くなった。NHKの有利さで当時の本物のニュース映像がドラマのなかのテレビで映しだされる。墜落現場に落ちているジャンボの翼、それをリポートする記者、突然飛び込んだニュースを緊張して読むキャスター、全てが本物だ。そしてあの川上慶子さんがヘリコプターに吊り下げられて救出されるシーン。これらのシーンは涙無くして見ることは出来ない。やはりこのドラマは超一級の価値があると再認識した。

●もし、このNHKドラマの「クライマーズ・ハイ」を劇場で上映したなら、大きなスクリーンを見ながら涙を流す観客が沢山居ただろう。今劇場でかかっている映画「クライマーズ・ハイ」と差し替えたなら、多くの人にあの大惨事とそれに絡む人々の、本当に「命を追ったあの夏」を感じさせることが出来るだろう・・・・そんな風に思ってしまうのである。

望月彩子を演じた石原さとみが「さとみ日記」の中でちょっと感想を書いている。そうか、この世代ではこの大事故は知らないんだなぁと、あの夏からの時間の経過を感じてしまう。20年以上経過したのだからなぁ。望月彩子が出した読者投稿と、それが新聞に乗った後の電話での悠木との会話は秀逸。「言葉は生き続ける」・・・と。
石原さとみ本人は、この非常に緊迫したドラマとその背後にある事故のことなど、余り重たくは捉えていないという感じか。もう段々と事故も過去のものになりつつあるのだなと感じてしまう。

「さとみ日記」http://www.horipro.co.jp/talent/PF070/67.html
2010年上記サイトは無くなっている。

関連日記
2007-07-25 TV『ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実』 真実の重さ映画の完全なる敗北

2008-08-04 『ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実』(TBSドラマ再見)

2009-02-20『ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実』(再々見)

2008-07-05 『クライマーズ・ハイ』作品に対する真剣さが足りないのではないか?

2006-05-17 『クライマーズ・ハイ』(NHK)硬派、重厚、映画に勝るTV演出

2008-08-03 ー御巣鷹山への道ー2008年8月1日〜3日

2009-11-03 『沈まぬ太陽』力作ではある。が、拒絶したい部分あり。