『明日の記憶』 

●割と人が入っていると聞きいた。感動ものだと聞いた。初日は入り口から人がはみ出して並んでいたとも聞きいた。渡辺兼が頑張っているとも聞いた。で、遅ればせながら見てみました。

●確かに、自分だってなにかをふと思い出せないことがよくある。

特に映画のタイトルだとか、役者の名前だとか・・・・友達と映画の話しをしていて「あ、そう、そうあれ、あの人・・・んーなんて名前だっけ、そうあの映画に出てた・・・」なんて会話はよくしてる。なんとか悶々としながらパッと思い出したときは気持ちが良いような、なんか自分も物忘れが進んでいるなんて思って不安になったり。(でもこれって若くても同じようなこと?)

●渡辺兼がドクターの質問に答えられなくなるシーンは自分も自問自答して「あれ、やばいかも」なんて思ったりして非常に焦ったりしてた。この辺は実に切実に見る人に迫ってくる。でも映画全体の流れは実に淡々。大きな演出もなく、なんとなく山もなく物語をただ淡々と語っていくような・・・・監督はわざとそうしたのか?

●ふと、思ったが、東映が配給だとどの映画もこういうトーンというか流れになってしまう気がする。会社の組織、雰囲気、社風が、誰が監督しようと、誰が出演していようと、誰が脚本書こうと、映画を強制的に東映的な流れに矯正してしまうんだろうか?不思議だ。

●劇場に来ていたのは年配の人が9割だったと思う。すすり泣くような声も聞こえた。我が身に迫る思いを感じる人も多いのだろう。実際この映画の観客層はかなり年齢が高い。

●でも、映画としてはなんだか非常につまらない。話しは一人の中年男性が記憶がなくなり、それを見守る妻の話しなのだが。昼間のドラマみたいなものをスクリーンで見せられた感じがした。悪い映画ではない。でも文化庁推薦、文部省推薦とかそういうなんだか非常に教育的な、模範的な、統制された映画のように感じてしまって・・・・・感動というものには辿り着けなかった。

樋口可南子の演技は凄い。まるで演技をしているように見えない。そのまんまその人がしゃべり、動いているかのようだ。演技をしている策というか技というかそういうものが全く滲んでいない。余りにも自然で驚いた。樋口可南子の演技の凄さ、何故にこれだけナチュラルにこの役をこなしているのか?そればかりを思いながら映画を見ていた。

●坂口憲治、吹石一恵、その他広告代理店勤務の同僚達も含めて・・・・なんかなぁ、とってつけたような脇役、ストーリーという感じで。

●この映画をとてもよい映画としている人たちはとても多いようだ。そういう人たちがこの文章読んだらいい気持ちしないかもしれないけど。
悪い映画とは思っていないけど、なにか違うなぁと感じている。

●捻くれて見ていたわけではないのだけれど・・・・・・もっともっとこういうテーマーをもっともっと深く、重厚に、そして強く響くものに出来たのではないか? このような形ではなくて・・・そう思えてしまうのである。

●とある作品説明には「夫婦の情愛をたおやかに描く」と書いてあった。たおやか??・・・・・かぁ。そうかもしれないけれど・・・・。

●この映画に対してちと辛口すぎるかな?でもまあ、そう思ったんだから仕方なし。

シネマ・トゥデイ・渡辺兼インタビュー:http://www.cinematoday.jp/page/A0001046