『華の乱』(1988)

与謝野晶子有島武郎、文学、詩、芸術、大衆運動、社会運動、民主主義、人権・・・あれやこれやを描いている・・・とはとても思えず。

吉永小百合松田優作緒形拳池上季実子松坂慶子風間杜夫中田喜子、その他もろもろ豪華極まる役者の顔触れ。(吉永小百合がものすごくオバサンっぽくて艶、色気、美しさが全然ない。これなら今の吉永小百合の方がまだいい)

・しっかし、これ、訳の分からぬ作品である。

・この時代の文学者、芸術家のことなんかまるで描く気がなかったんじゃないのとしか思えない。言って見ればドタバタお芝居のようなものだ。

・この時代の有名、超人気、実力派の役者をこれだけそろえているのだから、女優も男優も演技は一見の価値はある。だがそれは各役者の個の演技。一人々が堂々たる格のある演技をしてはいるがそれは横に繋がり話を醸造するようなものではない。各役者が個人技を出しているだけで物語りとして繋がりもまとまりもない。映画のなかで個人々が自分の演技を見せているだけなのだ、個々人がいかに優れた演技を見せていても単独技であちこちに起立しているだけなのだ。

・思うにこの映画、大正時代の風俗や社会、思想、文学、芸術、精神なんてものを描こうなんて思っていたのではなく、人気所の有名役者を揃えて、与謝野晶子というある意味奔放、ある意味醜聞的な女優歌人の姿で好奇心を刺激して興業の成功を狙った、商魂ギトギトの映画ではないだろうか、いや明らかにそういった作品であろう。

・儲けの為に作られた映画であり、深作欣二もそれにそって豪華な役者をコマのように配して動かしただけ、映画としての作品としての中味はまったくないようなただ人形を動かしているだけのような映画である。