『ジョゼと虎と魚たち』 

●2003年の年末から2004年にかけて渋谷シネクイントで公開されロングラン記録、動員記録、興行収入記録などをどんどん塗り替えていった作品だ。・・・・・・もう4年も前の事になるんだなぁ。

妻夫木聡池脇千鶴の全裸シーンがなによりも話題となっていた、女性からすれば妻夫木クンのベッドシーンに興味津々、男性としても池脇千鶴の大胆なヌードを見てみたい!まあそういう興味の部分が大きく観客動員を持ち上げただろう。だから、そういう部分が引っかかって、劇場にも行かなかったし、そんなもので引っ張った作品だからな・・・などという印象で、手元に送られてきたサンプルビデオもずっと見ていなかった作品である。

●見ていなかった理由は他にもあり、監督である犬童一心のその後の作品が「タッチ」であり「メゾンドヒミコ」であり、特に「メゾンドヒミコ」は自分としては全くダメダメと思っている作品となっている。そういうこともあって、この監督に対するマイナスのバイアスが相当自分の中に出来ていたというのが事実だ。まあ、人間であるから誰しもそういう好き嫌い、えり好み、つまらぬ事から生じる偏見のようなものは色々あるだろうけれど、それが作品を観る邪魔をしていたというのも事実。しかし、公開からこれだけ時間が経ってようやくというように観た『ジョゼと虎と魚たち』は思いのほかの秀作であった。

●一般的にはこの映画、純愛の映画として捉えられている。確かに、主人公二人の愛はことさらピュアに描かれているし、それが成就しなかったことすらも哀しいけれど、寂しいけれど真っ直ぐな愛の結果として心に残る。

●歩くことの出来ない障害者としての女性との暮らしを選択するということ、社会的な困難を真っ正面から受入れてでもその女性との暮らしを選択するということ・・・それを演じる妻夫木にてらいはない。その演技の表情に偽善や哀れみは出ていない。ストレートに女性に対する心の優しさと愛おしさから行動を選択したことに迷いはない。それが純愛ということなのだろう。観る者は同じことが果たして自分に出来るのだろうかと反芻する。心がギシギシと締めつけられる。

●映画の中身にはストーリーとしては取上げられていないが多くの社会問題を内在させている。棄てられた子供たちの施設の状態。貧困者の就学。生活保護すらお役所仕事で支払おうとしない役人。下半身の不自由さから働くことすら出来ず、小さな長屋で老婆と暮らすと身体障害の女性。誰も助けてはくれない。町も市も国も助けてなんてくれない。このままどうやってこの先の人生を送るのか。貧困の中で苦しみ、最低限の暮らしで人生を送るのか。老婆が無くなった後、この女性はどうやって今の社会の中で生きていけばいいのか? そんな中に妻夫木との恋は将来に向かった可能性を、光をこの女性に見せてくれる。映画を見ている方も「これできっと彼女は人として生きていける」そうホッとする。だが・・・恋は終わる。

●ラストで池脇が一人で自分の食事を作っている・・・そして、電動式の車イスにのり町を一人走っていく・・・・・重い。この映画に内在するものは非常に重い。だが監督はそれらを特に目立つように取上げるわけでもなく、全体のストーリーのなかに普通に並べて話しをすすめていく。普通の日常の中にこれだけの問題が渦巻いているということを静かに伝えてくる。

●予想外の映画であった。想像と違い、かなり社会問題を扱っている映画であった。(そういう風には描いていないが)

●今の日本にはこれだけの問題が広がっている・・・・監督は静かに伝えている、問題を表に見せようとしている。

●ヘビーである。