『007 スカイフォール』ダメダメ映画の典型。なぜこんな脚本になった。

・出だしにものすごいアクション・シーンを持ってくるというのは新生ボンドシリーズのお決まり事になったか。自分的にも過去二作を含めて、この冒頭のアクション・シーンは好きである。というか素晴らしい。今回の「スカイフォール」では約12分間ハイレベルのアクション・シーンを堪能できた。しかし・・・その後は・・。

・映像の質は文句なしだが、話が、脚本が、演出が・・・しょうもない!!

・捕まったシルバが脱走してからが余りにテキトーでご都合主義。コンピューターウイルスでドアロックを全部開けてしまうってのはいいが、逃げ出して駅に歩いていたらすれ違った警官に警官変装用の袋を渡されるとか(どうやって連絡とったんだよ)。 とっさに逃げ込んだ古い地下道にキチンと爆弾がしかけてあるとか。地上に出たら仲間の車がササーっとやってきてお迎えにあがるとか・・・デタラメすぎ。

・シルバをおびき寄せるって・・・スカイフォールに堂々とあんな軍用ヘリみたいなので飛んでくるんだったら、どっかで MI6のジェット機やら他のヘリで攻撃して撃ち落しちまえばそれで終わりだろう。

・ボンドが後ろからシルバに飛び蹴りして、シルバをぶっ倒して、それで止めの一発撃って殺すこともせず、Mを追いかけてて、あとからまたシルバにライフルで撃たれるなんざ・・・あったりまえだろう、なんであそこでシルバを殺さない。阿呆らしい。

・演出をするためにありえない非現実的、冗談か、アホか間抜けかってあからさまに分かるような話の組立にしてる。脚本が極めてご都合主義で整合性、論理性、現実性とかいったものに欠けている。人間の心情すらあらわしていない。SF映画やアクションコメディーならこんなんでもいいが、真面目なシリアスな中身の007シリーズでこれじゃどうにもならないだろう。

・新生007シリーズは「カジノ・ロワイヤル」が文句なしに最高だったが、その次の「慰めの報酬」でガタッと質を落とし、今回の「スカイフォール」で更にそれが酷くなった。やはりこれは脚本家の力の差ではないか? 今回は脚本家の名前からポール・ハギスが消えているし・・・。

・『ダークナイト』のジョーカーや『ダークナイトライジング』のベインにしろ、最近のハリウッド映画の悪役はあまりにご都合主義すぎる。どこにでも行けるし、なんだってできるし、どうやりゃそんなことできるんだ、そんな堂々と歩いてたらプシューン、バ〜ンと拳銃で撃ちぬかれ、ヘリコプターから狙撃され一発でお陀仏だろうに。それが今の現実社会だろうに、なのになんで生きてるの、なんでそんなに簡単に逃げられるの、なんで殺されないの、なんで捕まらないの・・・ってのが多過ぎ。

・注目を集める悪役がそう簡単に捕まったり、殺されたりしたんじゃ話としてどうにもならないが、だからといって現実性無視して逃がす、生かすってのは単に脚本にアイディアや独創性、工夫が織り込めないから「もう面倒だ、そんな細かいこと見ている客は気が付かないだろう、いいやこのままやっちまえ、生きてればなんとか話は繋げられるんだから」というどうしょうもない感覚で話を繋げて脚本を書いているとしか思えない。

黒澤明は、とことん抜け出せないような難しい難局を設定して、それを共同脚本家たちに与え、そこからどうやって登場人物が抜け出すかを徹底的に頭をひねって考えさせたというが、最近のハリウッド映画の脚本家たちは、抜け出せないような難局に突き当たってしまうと「んー、いいや、面倒だからただ助かったってことにしとけ、現実的にはここでやられるのが筋だがそうだと最後まで話がいかないから生かしておこう」ともうテキトーに処理してるんだろう。どうしょうもないね、このスカイフォールの脚本にしろ、てんで最低だ。

・辛口批評だからって、態と天邪鬼な批評をするつもりなんかはまるでない。しかしこの「スカイフォール」巷の評判も、各映画評論家の評判もすこぶるイイ。でもさ、一体どこを観てるんだよと言いたくなる。映像やアクションは確かに素晴らしいが、映画の芯である脚本、物語設定、演出がデタラメ、テキトー、ご都合主義過ぎる。そういうところ全然指摘もしないで「素晴らしい、最高傑作」と言ってる批評家って、金でももらってるんじゃないの? 東電と原発を擁護している御用学者と同じで。ヽ(`Д´)ノ

・詳細がこっちに詳しく書いてあった。まあそこまで詳しく細かく見る気にもなれなかったが、ナルホドねぇという感じ。:http://k-onodera.net/?p=356