『海と毒薬』(1986)

●社会派監督として、数々の日本歴史に存在する黒い事件を映画化してきた熊井啓が脚本化から17年もの歳月を経て映画化した作品。

●クリスチャンであった遠藤周作は原作小説の中でキリスト教の考えと日本人の神無き信仰心の部分に言及しているという。しかし、映画の中ではそこまで宗教的な問題に踏み込んではいない。キリスト教の教えという部分まで踏み込んだ表現があるとすれば、橋本教授の妻であるドイツ人のヒルダが「殺す権利は誰にもない、神様が怖くないのですか」と神の存在を看護婦に説く場面と、夫の橋本教授が捕虜の生体解剖をしているその外で、妻のヒルダは娘と手を繋ぎ神を称える歌を歌っい散歩をし、その歌声がメスを握る夫の解剖室まで鳴り響いている。この二つであろう。宗教的な思想に踏み込んだというようりも皮肉、アイロニーとしてこの場面は使われていると言うべき。(ヒルダの歌っている歌はなんという歌なのだろう?)

●原作は未読。原作は信仰心はあるのに実質的に神の存在というものが無い日本人と、キリスト教の教えを対比しているということだが、映画の中でその部分は薄い。熊井啓は宗教的な相違に焦点を当てるよりも、生きている人間を組織や状況の中で致し方なかったとはいえ、実際に生きている人間を解剖してしまうその人間の強欲、エゴ、そういった部分に焦点を当てて脚本を書いたのであろう。

●人間は正常であっても、頭のなかで悪と理解していても、ここまでの行為を行いうる、そしてそれを自分の中で正当化してしまう生き物なのだと。

●生体解剖を行った病院関係者を尋問する岡田真澄は顔つきはいいのだが、セリフ、演技がどうもわざとらしく感じる。

●何も知らない米軍捕虜を皆で押さえつけ睡眠薬で眠らせるシーンはやはりぞっとする。まるで獲物に飛びつき食いちぎる肉食獣の集団を見るようだ。

●1986年にこの映画を白黒で撮影したことは適切な判断だったであろう。映画に重さが加わった。

●カラーであればやはりスプラッターになってしまうような内容、シーンが沢山ある。これは先日の「白い巨塔」とも同じ。

●生体解剖した捕虜の肝臓を取り出し、それを軍人の送別会の酒宴の席に出すという異常さ(実際に食べるシーンはないが)

●人間の本性、理性という仮面を一旦取ってしまえば人間はこんな残虐な行為まで行える。そしてそれを知性で正当化しようとする。性善説ではなく、人間の性悪説にもとづいた作品ということになるのだろうが・・・これは重い。

●役者の演技、モノクロでの映像表現、額から滴る汗、流れる血液、色がなくとも伝わる強い映像。脚本としての完成度も高いが、映像表現としてもその質はかなりの高みにある。