『ありがとう』(2008)

阪神淡路大震災を取り上げた映画というのは少ない、『マグニチュード 明日への架け橋』という作品があるらしいがこちらは未見。知る限りでは二作品のみのようだ。あれだけの大災害なのだが被災者の心情に配慮して災害ものは映画を作りにくいというのがあるだろう。日航機事故はTVでも映画でも映像化されたものが数本ある。被害者の心情に配慮するという点では同じだとしてもたぶん日航や政府やボーイングなどの闇の部分が見え隠れしていて、そこに焦点を持って行けば悲劇を映像にしやすいという部分があるかもしれない。悲劇を簡単に映像にしていいかという部分はあるけれど。

阪神大震災は自然災害であり、ドラマや映画にしようにも本当の震災の悲劇以外にカメラを向ける当て馬が無い、だから映画やドラマなどにしにくいというのかもしれない。あれだけの大災害なのに・・・・。

●そんな阪神大震災を描いた作品ということで興味を持った。しかし内容は承服しがたい。前半と後半の話しがまるで乖離しているのだから。

●震災のシーンはCGや大規模なセットを組んで撮影したということで、高速道路が倒れるシーンなどまで再現されているが、なんだか怪獣映画を見ているような気がしてしまった。震災のおそろしさは途中途中に挿入される実際のニュース映像の方が遙かに凄い、あの震災の恐ろしさが伝わってくる。

●あの大震災のなかで消火活動、救護活動を行い家が潰れても家族で力を合わせて頑張って生き抜いたという主人公の姿を追いかけている前半部分は、そこそこに納得がいくのだが、それが後半になると主人公はまともに仕事もしないのに一軒家を建て、そこで妻や娘に仕事をさせて自分はぶらぶらしている男になってしまう。なんだこの話の流れの甘さはとちょっとムッと来てしまう。そんな男がシニアプロになることを目指して、家族に苦労かけながら何百万ものプロテスト代金を掛けてプロを目指す。そしてついにプロテストに合格する・・・という話なのだが、これが前半の自分たちの町をあの大震災でボロボロになった自分たちの町を立て直そうとした主人公の話しとまるでつながっていかない。後半の話はわがままを通し、家族に迷惑をかけても自分がやりたかったゴルフを続け、ついに高年齢なのにシニアプロテストに合格したというなんだかよくあるようなスポ根のサクセスストーリーなのだ。

●これは実話だという話だから、話をそんなに脚色して変えることもしなかったのかもしれないが、あの阪神大震災の悲劇と、家族に迷惑をかけてもプロゴルファーになった男の話を同一ライン上に並べるのは甚だ無理がある、というか不謹慎ささえ感じてしまう。実話でそういう人がいて、そういう人が書いた小説がそこそこ売れて・・・それはいいけれど、その小説も読んではいないけれど、この映画はあの大震災にあったひとの苦しみだとか、苦労を誰かに伝えようとしてつくられたのではないのではないか? 高年齢でシニアテストに合格した男の話がメインであり、その過去としてあの大震災もこの人は経験してましたたということであって、あの阪神大震災がメインにおかれていない映画ではないかと思うのだ。ならばそういう過去も経験した人が頑張ってプロテストに合格しましたというスポ根もののに焦点を絞った映画にすればいいものを、あの悲劇を、あの沢山の人が無くなった大災害を後半のスポ根ストーリーのツマとして使っているではないか、あの大震災をそんなふうに使っていいのか? あの悲劇をこんな風な映画の具材扱いで使っていいのか? そんな憤りが後半を見ている間中ずっと胸の中に沸いていた。

●平山讓の「還暦ルーキー」という小説を映像化したということだが、そもそも題名から明らかでその小説は還暦にしてプロゴルファーとしてデビューしたルーキーの話なのだろう。この小説のなかで阪神大震災のことがどれだけの比重で描かれているかはしらないのだが、少なくとも映像化した映画であるこの『ありがとう』ではまるまる半分、一時間近くが阪神大震災に関することを描いている。それなのに後半はガラッと変わってゴルフの話だ・・・なんなんだこの激しいギャップは。

●あの震災の中でどん底まで落ちた人が頑張って這い上がってプロゴルファーにまでなったという話ならもう少し別の描き方があるだろう。主人公はあの大震災のなかで苦しみ苦労したというのに、どこをどうやってか立派な一軒家を建て、仕事をせず、妻と娘たちに金を稼がせてゴルフに明け暮れている??  そんなのありか? 実話がどうだかわからないが、少なくともこの映画の表現の仕方で主人公の苦労や苦しみなど一時間が経過したところからすっかり吹き飛んでしまっているではないか?

●たぶん実際の話とか小説はもう少し違うのではないかと想像する、したいのだが、この映画はまったく頂けない。『沈まぬ太陽』もあの日航機事故の第惨事と薄汚い企業の権力争いや政治家の策略などを同じ線の上に並べているということで納得できない作品であった。そしてこの『ありがとう』もあの阪神大震災とわがままな男の身勝手なスポ根ものを同じ線の上に平気でならべているということに大いに疑問を持つとともに憤りさえ感じる。

●この映画のセット、大震災のCGを作るのに15億もの金が掛けられたと何かに堂々と書いてあった、この映画は文化庁支援・文部科学省選定(少年向・青年向・成人向・家族向)映画として補助や協賛も受け、「災害被害を軽減するための国民運動」として文化庁がポスターなども製作配布したという。この映画の主題は後半であり、阪神大震災の映像はストーリーを膨らませる為の付け合わせだ。そんな作品に15億もの金が使われ、文化庁が支援して、本質的に阪神大震災をテーマとしてもいない作品に金をつぎ込んでいる。そんな金があればもっと別のことに、本当にあの震災で苦しんだ人や街に使った方がよっぽどいいではないか! 阪神大震災の映画として取り上げられていることが多いが、この映画は阪神大震災をテーマにした映画でもないし、あの惨事を真正面からつたえるような映画でもない。