『トウキョウソナタ』

●あちこちで評価の高い作品だったが、これではなという感である。

●予告編に流れていた音楽は「リリイ・シュシュのすべて」で流れていたモノと同じドビュッシー「月の光」。イメージが被さり「リリイ・シュシュのすべて」が頭の中に浮かんできてしまう。「月の光」の旋律は暗く寂しい映画に確かにぴったりとマッチしている。旋律だけで映画のイメージを表してしまう。

小泉今日子は類似した役に出過ぎている。中年の不幸な母親、女性というイメージが定着してしまいそうだ。今回の「トウキョウソナタ」の母親役は「空中庭園」の母親役に非常に似ている。「風花」「雪に願うこと」の役も影のある。どうしてなのかわからないけれど人生がおかしくなって上手く行かなくなった女性の役だ。キャスティングする側ももう少し過去の役から離した役を与えなければいけない。異なる作品であるにも関わらず役のイメージがで重複してしまうからだ。

黒沢清は嫌いではないが、いつもいつも作品の訳の分からなさを自分の個性にしてしまっているところは好きになれない。訳の分からぬ作品を好きになることもない。

●予告編で「誰も知らないラストに向かって・・・」云々というセリフが入っていたのだが、この映画のラストは誰も知らないようなものでもないし、ましてや甚だに詰まらない。作品の中に「誰も知らない」ような映像や演出は見当たらない。ラストはストーリーの別になんでもない帰着。どうしてこれが誰も知らないラストなのだ? この宣伝コピーは浅はかな宣伝マンの、内容との結びつきなど考えていない浅はかな言葉の貼り付け。映画を作った側には非はないだろうが、なにが誰も知らないラストなんだ? 愚かしい、馬鹿らしい。

●子供がアメリカの軍隊に入って中東に行くというのは、皮肉、風刺としても、現実離れした上にあからさますぎるのでその皮肉が心に訴えかけてこない。

●こういった家族の崩壊が今の日本のリアリティだとしても、映画が描いているシーンはまったくリアリティーを追及していない。失業者の話もズラリと並ぶハローワークも、広場で失業者に食事の配給をしている様子も・・・作り物という感じで今の実際のその場所をリアルに映しているわけではない。そこに並ぶ人々の苦しみ、悩みを表そうとしていない。何故だろ? 意図的なか? その辺が良くも悪くも取れるのだが、自分は悪いほうに取る。本当にこんな状況にある人がこれを観たら胸くそが悪くなるだろう。お前らここに並ぶ人の苦悩なんて何も分かってない。分かろうともしないでこんなシーンを撮ってるなと思うだろう。

●子供に才能があって、将来は素晴らしいピアニストになるかもしれないというのが一縷の望み? 絶望と失望が広がった家族が見つけた小さな希望、光? そんなものが落込んでいく家族の希望になるというのか!映画が見せる希望の光になどなるというのか? それ以上に厳しい現実をどうこなして生きていかなければいけない。そんな逼迫したものがあるはずなのに映画はその苦しさに手をのばしていない。触れようとしていない。高台から見下ろして素材に利用しているだけだ。結局この映画、リストラだとか家族の崩壊だとかを描いているようで全然その本当の厳しさに踏み込んでいない。表面を舌でちょろちょろ舐めているだけで、扱っている問題をがっぷりと口に頬張り、苦くつらくてもそれを堪えて噛み砕き、それを咽の奥に押し込み飲み込んで腹の中に落とし込もうとはしていない。表面をちょっと舐めて「こんな問題があるんだからそれをモチーフにして映画にしよう」としただけで、問題を真剣に捉えていない、真摯に見ていない。そう、クライマーズハイ(映画版)などとおなじだ、作品が取り扱うテーマ、内容に対して真剣さが甚だしく欠如しているのだ。

●今のような厳しい不景気で本当にリストラされた人やその苦しみなど、この映画はなんら表現していない、上っ面だけのギャグにしてしまっている。本当にリストラされて苦しくても家族を養うためにアルバイトをしているような人がこの映画を見たら(見ないと思うが)「この映画を作ってるやつらには自分たちの厳しさだとか苦しさだとか辛さなんてこれっぽっちも分かってないだろうな」と思うのではないか? 家族がおかしくなった中で耐えていかなければならない人がこの映画を観たら「こんな甘ちょろいものではない」と思うのではないか・・・・そう感じてしまう。

●この映画、いまあるトウキョウという街、日本の現実をリストラや家族の崩壊なんてところで表現しようとしているのかもしれないが、こんな高見から見下ろして上っ面だけを舐めているようなストーリーで現実の深刻さや問題点を表現できるはずがない。この映画をそういった問題点を描いているなんて評している人もあれこれいるようだが、それは"偽善"であろう。そしてこの映画も"偽善"の中で作られた偽善的な映画としか思えない。

●佐々木の同級生の黒須が、同じくリストラされ失業し妻と子供に内緒で再就職活動をしている、だが、成長期の子供だけをのこして夫婦でガス自殺をし命を絶つ・・・こういう無責任さ、残った子供のことを考えると見るのも嫌になる。

●佐々木の家に忍び込んだ泥棒(役所広司)と佐々木の妻(小泉今日子)のストーリーはなんで急にこんな唐突な話をいれるんだろうという不信感が噴き出す。この取って付けたようなエピソードはなんなのだ?

●「ぼくんち不協和音」と宣伝文句にあったが、不協和音は描かれている家庭にあるのではない。この作品の中の一つ一つのストーリーが、この映画そのものが現実の日本、トウキョウという存在に不協和音をたてているのだ。

●相変わらずの黒沢清流とは言えるが、見終わって「なんなんだ、この映画は」と憤りを感じた一作。評価する声はまったく相容れずである。

トウキョウソナタ黒沢清インタビュー:
http://www.hmv.co.jp/news/article/808260070/
:http://www.cinra.net/interview/2008/09/16/203000.php