『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

●原作リリー・フランキーはこの私小説の大ヒットでTVでもよく顔を見るようになったし、この小説が出世作。それまでもメディアで活躍していたようであるが、名前も顔も一般には余り知られてはいなかった。

●原作は未読。映画を観てから言うのは後付け的ではあるが、作者の子供の頃から母親との思い出、自分の半生を綴った自伝小説としては、文字としては、読んでいて面白いかな?とも思える。だが、それが映像になったとき・・・・文字が持っていた味わいも、奥深さも、消えてしまったのではないか?

●脚本は異才松尾スズキ・・・しかし、流石の松尾ススキでも、この小説を奇想天外にアレンジすることは出来なかった、やらなかったのであろう。殆ど抑揚の無いストーリー、小説をそのままなぞったような脚本、面白みも何もない。親子の感動物語に、松尾流の奇抜なアレンジを加えて、小説のファンからあれこれ言われることを回避したのかも?

●監督松岡錠司、あの「バタアシ金魚」の監督だったんだねぇ。「バタアシ金魚」の弾けた青春具合は、まんま監督の若さのパワーだったんだけど、その後の作品はそつないものばかりという感じである・・・・。

●いくらなんでも2時間22分というのは長すぎ!! 主人公が子供の頃から社会人としてなんとかやっていくようになるまでのストーリーは余りにも退屈で気怠い。ろくすっぽな演出もなされず、時系列に起こったことを羅列していく、小学生の書いた作文を観ているような気分。あまりのつまらなさに何度観るのをやめようと思ったか。

●話しが動き出すのはオカンが病気になって、それをボクが看病するところからだ。この作品に”感動”があるとすれば、その辺り。だが、人の死に向かう姿は心を締めつけ、涙を滲ませるものであり、それをもって小説であろうが、映画であろうが感動作というのは短絡的すぎ、なんら作品としての意義をもちえない。

●温かい話であり、親と子の愛情の話しではあり、それ自体を否定するつもりはないが、こと”映画”という部分に於ては、まるで出来ていない、小説をカメラでなぞったような非常に退屈な作品である。これなら小説のほうがいいであろう。

●これが2007年の日本アカデミー賞最優秀作品賞だというのだから、ひっくり返る。どうしてこれが最優秀作品???

製作委員会の顔ぶれを見てみると・・・・・
配給:松竹 製作:日本テレビ放送網 / リトルモア / 松竹 / 衛星劇場 / 三井物産 / 電通 / 扶桑社 / バンダイフィル / 読売新聞 / 読売テレビ放送 / ガンパウダー / アンシャンテ / フィルムメイカーズ / 札幌テレビ / 中京テレビ / 広島テレビ / 福岡放送・・これにテレビドラマの絡みでフジも関わってるか? これだけのテレビ局やらなんやらが顔を揃えていれば・・・・・日本アカデミー賞も相当に影響受けるだろうねぇ。(溜息笑)というかハイ受けてますって選考結果かね?

●役者の演技は皆なかなか、チョイ役にも、まあずいぶん豪華な顔ぶれで役者が出てるねぇ。大ヒット作の映画化だから、これだけ揃った、役者も出たがった、松尾スズキのコネクションで集まったか? ちょっとやりすぎナ感あり。

松たか子が出てるって全然知らなかった。久し振りに出てきた松たか子に、最初は「彼女も薹が立った感じかなぁ、あれだけキラキラしてたのにねぇ」なんて思っていたのだけれど、少し見続けていたら、やはり他の役者と比較すると華はあるなぁ。松たか子が出ているだけで画面がちょっと色付く。あんまりイイ役に恵まれていない感じがするけど、やはり素質としては光ってるか。

●映画を観ようとするとき、その時のポスターや宣伝やら、予告編の感じ、全体的なフィーリングやらで、これは観ようかな? なんか損しそうだから観るのはよそうなんて判断をしてしまうのだけど。この映画は”つまらなそうだからやめとこ”って感じで観ていなかった・・・・それは正解だったということだね。劇場で観ていたら確実に鼾をかいて寝ていたと思う。その位退屈な映画でした。

☆映画批評 by Lacroix