『殯の森』

●ストーリーの分りにくさ。(単純に難解、むずかしいというのでも、複雑で入り組んでいるというのではない。)余りに映画の状況や背景の説明がなさすぎ、唯単に最初から話しを追っていただけでは「何これ?」と言いたくなる位見ていて何がなんなのか分らない。作品の説明を読んだり、その後でもう一度鑑賞したりすると「ああ、そういうことなの」と理解できる部分が出てくるのだが、この全く良く分らない映画の撮り方は極めて特徴的。話しを観客に説明するという姿勢がほぼゼロなのである。そんなものは必要ないとでも言っているかのごとくだ。

●セリフが非常に聞き取りにくい。ストーリーの分りにくさに話を掛けていつもセリフが聞き取りにくい。何を喋っているのか聞こえない。何故こんな録音をするのか? 手持ち撮影での同時録音で後から音の補正などしないのか? いや、風のざわめきや、草木の擦れ合う音など自然描写の部分はキチンと聞こえる。登場人物のがはっきりと喋らない、もぐもぐ、それも小さな声で喋る、それも演出だというのだろうか?

●この二つの難点だけで、普通は河瀬監督の映画は多くの人に「なにこれ?」「意味分らない」などと言われてしまう。ネガティブな意見が確かに多い。なぜ登場人物の背景もなにも見るものに伝えずいきなり話しをすすめ、しかも聞き取りにくいこのセリフ。監督自身もスタッフも分っているはずなのに何故それを直そうとはしないのか? 直さなくて良いと思っている? これでいいと思っている? その感じもありありである。

●だが、これまでの作品「萌の朱雀」「沙羅双樹」そしてこの「殯の森」にしても一種異様な、不気味な、不思議な吸引力があることも確かなのだ。

●絵の力か? そんなに画面に切り取られた絵がなにか特殊とも思えない。ストーリー?? それは違う。全体が醸し出す雰囲気・・・そうなのかもしれないがそれでは説明にならない・・・・兎に角、この監督の作品は特殊であり、否定すべき要素は多々あるのに・・・好きではないのに、何か魅かれる。河瀬監督の作品はドグマ95的と前にも書いたが(厳密にはドグマ95の誓いとは違う)その路線の作品に似たものを強く感じる。

●まあなんにせよ、相変わらずこの作品も意味がわからず、延々とだらだらと妙なシーンが続くというのだが・・・一見の価値はあるだろう。多くの人が否定的な意見を言い、何故これがカンヌの審査員特別賞なのか分らぬといい、監督の唯我独尊、自己中心、自慰行為とまでいう向きはあるが、数多く作られる映画の中で、引っ掛かるものがある作品であり監督であることだけは確かだ。

●製作した側もカンヌには持っていったが、まさか日本人では17年振りという審査員特別賞をもらうなんて予想もしていなかったのだろう。NHKを含めたテレビでの取上げ方もかなり凄かった。ましてやその発表の数日後にNHKのBSで放送を予定していたとは・・・・映画ファンとしては非常に喜ばしいことで、受賞したばかりの旬の作品を直ぐに家庭で見ることが出来るわけだが、製作側は残念がっているだろうね。この作品の内容だから通常の劇場公開はかなり厳しいと予想して、製作費の回収の為にもさっさと衛生での放映権を売ってしまっていたのだろうけれど、このBSの放送がもう少し後だったら少なからず頑張って押えた劇場に、もっと観客が入ってもっと興行収入があがっただろうに。まあ後から言っても仕方ないのであろうが、劇場公開に先駆けてBSで放送という物凄い(笑)ことをやっちゃって、プロデューサーも穴があったら入りたいという気分だったのではと思う。カンヌで受賞というニュースを聞いて「お、それなら映画を見てみようかな」なんて思った人のかなり多くを劇場に引っ張れず、「BSでやるならそれ見よう。映画館に行かなくてもいいや、ラッキー」と家庭のテレビで満足させちゃったんだから。このミスで製作側に回る配給収入はどれだけ減じたかね? 大ヒットする作品ではないからそれほど大きな金額ではないだろうが、もったいないことしたぁ・・・って感じだろうか。

●主役の尾野真千子が「萌の朱雀」以来役10年振りの河瀬作品への出演。「萌の朱雀」のときは突然現れた純粋な美しい少女という感じだったが、なぜかその後あまり作品には恵まれていなぁ。もうこの映画の撮影の時で27歳位かな? 「萌の朱雀」でセーラー服を着て自転車に乗っていたあの少女がもうこんな歳かぁと思ったりもする。今回は思いきって胸をはだけた裸のシーンまで披露しているが・・・なんだかパッと花が開かず、まだまだくすぶっているところがちょっと悲しい。

●カンヌで何故この作品が評価を受けたのか? カンヌはやたら民族的というかローカル的というかそういう特殊なものをピックアップする映画祭である。大々的なエンターテイメント作品とかではなく、言って見れば昔のアート系だとか芸術系という作品を中心に賞を与えている。「楢山節考」「うなぎ」と過去の日本の受賞作もいかにもという感じだ。この不思議で奇妙な日本映画がそういうテイストにまたも合致したのだろう。これはカンヌの特殊性だということであろう。またこの作品の非常に分かりにくい、聞き取りにくい部分も、なんと!英語字幕にすれば、説明も出来るし、話している内容もはっきり理解出来るし、日本語で見るよりも話しはなんとか外人の方が分かりやすかったのだろう。(皮肉なことである)カンヌの審査員はこう言った民族のどろどろした風習のような映画を好む傾向がアリアリである。

●NHK−BSの放送では本編が始まる前に、映画の舞台や登場人物の背景などを説明する映像を流した。なるほど、流石にBSもただこの映画を流したのでは殆どの人が理解できないと思い、鑑賞の手助けとすべくこんな映像を本編の前に付けたのだろう。それは正解である。そして、そのことがはっきりと、この映画のダメな部分を証明しているとも言える。やはり多くの人は「わかりに難い映画」なのだ。NHK-BSはそれを見越して対応した。まっとうな仕事である。

●河瀬監督はTVのインタビューで「世界の黒澤の次は世界の河瀬になれる」などと発言していたそうだが・・・そういう極めて唯我独尊的な部分が映画そのものにもでているであろう。そういう飛んでもない発言がまた反発を受けたりもしてしまう。20歳位の若い女性が勢いではしゃいでそんなことを言うのならば、まあまあ元気のいいことだ!と捉えられなくもないが、もう40歳にもなろいうという大人ではそういう訳にもいかない。

●予想外に小さな劇場で上映がつづいている。きっと年齢の高い層の観客がポツポツと劇場に訪れているのだろう。

●次回作に期待・・・はあまりしないが、日本映画の日本の映画監督の中の非常に特殊な、希有な、それでいてなんとか名前も通っている(頑張っているけど全く無名の人は物凄く多いから)監督であり、作品であることだけは確かだ。