『告発のとき』( In The Valley of Elah)

●巧みな脚本術とストーリーの素晴らしさで感嘆した「クラッシュ」のポール・ハギス作品。最近の洋画監督の中ではポール・ハギスは白眉であろう。

●逆さに吊るした星条旗の意味は”国家的危機”ということらしいが、映画の中の邦訳でトミー・リー・ジョーンズ扮する父親は「もうどうしょうもない状況、抜け出せない状況で、助けてくれという意味だ」と語っている。それが今のアメリカの冗談抜きで本当の状況なのだ・・・ポール・ハギスはそう言っていのではないだろうか。

●「クラッシュ」でも日常の生活に存在するアメリカという国が作りだした恐怖や危機が多く描かれていた。一部資本家や投資家、企業の株主は金儲けのことばかりを考えて、そこから起因する戦争や、地球という生命体の危機などお構いなし、自分たちが富めばそんなことはどうでもいいといった態度だ。だが、ポール・ハギスのように知識人の中から、アメリカの抱える闇、国家の仕組みとしての危機、取り返しの付かない程の泥沼化したアメリカという国が持つ犯罪、暴力、不正の日常性。この国家の在り方、進んできた道を非難する声は上がりはじめている。それが形になるまでには至っていない気もするが。

アカデミー賞を受賞した、コーエン兄弟の「ノーカントリー」(奇しくも主演は同じくトミー・リー・ジョーンズだ)もアメリカという国の矛盾や崩壊を犯罪の視点から焙りだしている。(「ノーカントリー」の原作邦題は「血と暴力の国」という事からもその意味が伝わる)『告発のとき』も非常に似た映画と言ってもいいであろう。犯罪や暴力、不正の中からアメリカの抱える大きな危機を示そうとしている。

アメリカ最大の産業でもある、映画の世界で、こういったアメリカ批判がふつふつと煮え出している。レッドパージと同じことは出来ない。不正な権力側も国家最大の産業を捻り潰す事は出来ない。そこに、アメリカの近い未来へのほんの少しの希望はあるのだろうか?

●日本はどうだ? 徐々にアメリカ化し、人の自由は幸せは確実に少しずつ目に見える形で奪われている。死ぬほどの困窮はない、いや苦しくなっていってもなんとか生きていけるところ以下にならぬように状況はコントロールされている。それ以下になれば体制に破壊的な批判が勃発するからだ。この国だって、国家の危機は同じなのだ、カモフラージュされていることも同じ。

●この日本という国で”国家的な危機”がもっと顕著化し、もうどうしょうもない状況で、助けてくれと国旗を逆さ吊るしたらどうなる?日本の国旗は逆さにはならない。どちらを上にしても同じ形になる。・・・・国家の危機というメッセージは誰にも伝わらない、気付かせることが出来ない・・・・この日本はそういう国ではないのか? (古い日本国旗は日の丸の位置が旗の中心から若干旗竿側に寄っているらしいが)

●「クラッシュ」で見せたような複雑でありながらも、巧妙に糸が手繰られてていく、見事な脚本術は今回の作品には取り込まれてはいない。だが、そういう技巧に寄ったところではない部分で、実に細かく練り込まれ、実に考え込まれた、極めてクオリティーの高いストーリー・テリングが見事である。

●2008年3月15日にNHK文化センターで行われた小泉堯史監督の講演会 (3/16のブログ参照http://d.hatena.ne.jp/LACROIX/20080316)の時に、小泉監督に「最近ご覧になった映画で感銘を受けたものは有りますか?」と質問したところ小泉監督は「映画会社から内覧用のDVDで貰ったものなのですが「告発のとき」という映画が非常に素晴らしかった。だが、あの映画の題はおかしい。あの映画は告発しない映画なのに、なぜああいう題を付けているのだろう」と言われていた。・・・真にその通りである。

●ここでもはびこる内容を理解しない邦題の付け方。配給会社や宣伝担当は映画を観ているのか? この映画を観た人は、誰もこの邦題に疑問を持なかったのか? この映画の中では”告発”はしていないのだ・・・誰も。なんたる邦題か、作品の意味を取り違えたこの邦題の付け方は・・・極めて愚かである。

●自分はアメリカの今の在り方にかなり批判的な立場である。この映画評のブログに於ても「クラッシュ」「ノーカントリー」「大いなる陰謀」「チャーリー・ウイルソンズ・ウォー」そしてこの「告発のとき」とアメリカの映画人が行うアメリカの現在に対する批判をなんども取上げ、書きだしてきている。これらの映画全てに通じることは「俺達を助けてくれ」というアメリカ人の悲痛な叫びのような気がする。

●「プライベート・ライアン」「パトリオット」など、映画のラストで青空の元に星条旗が威風堂々と風にはためくような映画は多々あった。その度に自分は「またしてもアメリカの愛国心自賛の映画か」とうんざりし、不快な気分になっていた。お前らはいつまでそんなことを言い続けているのだと。しかしそれがアメリカという国の国民に強いてきた有る意味洗脳とも言える思想教育のスタイルであったのだろう。しかし、この「告発のとき」では、ボロボロになった星条旗が、逆さに吊り下げられているシーンがラストとなる・・・・・こんな衝撃的な映画はアメリカ人に取っても初めてではないのか? そして映画産業という場で、アメリカ人がもっとも好むエンターテイメントの場所で、ボロボロの国旗が逆さ吊りにされる映像が出る・・・・これ程までにアメリカという国は抜け出せない最悪な状況に陥っているということなのだ。

☆映画批評 by Lacroix