『浮雲』(1955)

監督:成瀬巳喜男 脚本:水木洋子 主演:高峰秀子

●名監督として名高い成瀬巳喜男の代表作。だがどうもパッとしない。これが本当に名作と呼ぶべき作品だろうか?

●この時代の映画監督では小津と黒澤、溝口健二成瀬巳喜男木下恵介ということになるか。 

●敗戦後の街の様子は時代が近いせいもあるだろうが如実に映像に映し出されている。復興マーケットという看板を見ると、津波で瓦礫の山になった被災地の状況が重なって見えた。今の被災地は本当にこんな戦後の焼け野原と同じような状態だ。

●事件の発生のしかた、唐突な話、状況の急転、どんでん返しがあまりにわざとらしい。話の展開があまりに意図的でご都合主義的だ。脚本家が「どうやって話を二転三転ひっくり返し、観客を驚かせてやろうか」と、考えている顔が透けてみえる。これは観る側の目に立っていない自己中心的、一人よがりで書いている脚本だ。自分の頭の中の空想でこうすれば面白くなる、ここでもう一度話をひっくり返して観客を驚かせてというわざとらしい脚本家の意図が話の中に染み跡のように滲んでしまっていて、観ていて段々と呆れてくる。脚本家の頭の中で考えられた脳内の空想が、強引で一方的な話となり、観る側に押しつけがましい圧迫となって覆いかぶさってくる。

●いくら作り話とはいえ、こんなにとんとんとご都合よく、物事がすすむものか? 仕事がない、食うに困ったと言った次の場面では再就職が決まった、なんとか上手くいっている。やっぱリだめだ、金をかしてくれ、元の役所の仕事に戻った、屋久島に行く、とまあ実にご都合主義で話が進んで行く。

●ゆき子にしても、妻子ある富岡と付き合い、帰国したら富岡は妻と別れずにいて結婚もできず、次にはアメリカ兵の情婦パンパンになり、幼い頃身を寄せていた家の男に犯され、その男は新興宗教で金を儲け、富岡と寝た女は夫に殺され、富岡の妻は死に、富岡は再び都合よく官庁の仕事に再就職し、富岡に付いて屋久島に行ったら病気で死亡。これはもうもう開いた口が塞がらないくらい呆れるストーリではないか。このまま今この話を撮り直したらこれはギャグですかと爆笑されるようなストーリーである。

●終いには富岡、妻、ゆき子、アパートの若い娘と4角の恋のもつれ? いやはやといった感じで呆れてしまう。

●昭和の昼のメロドラマというような映画。公開当時、他人の不幸は蜜の味とでもいうような受け方をしたのだろうか?

●富岡がなぜこんなにモテて次から次へと女とねんごろになるのかが全く画面と話から想起できない。なぜこんなにモテるのかという演出が富岡において何もなされていない。脚本はただ女とくっつけて寝させて、別れさせるという形だけしか描いていないではないか。それが生じる人間の心を全く深堀していない。

●ましてや、ゆき子がなぜそんなに富岡にしがみつき慕い続けるのかという感情が、好いて、捩れて、切れて、別れて、また繋がる。そこまでして富岡にしがみついて行くゆき子の感情が全く演出も説明さえもされていない。これでは、ゆき子は一度付き合った男がどうしても忘れられずただ付きまとっているだけの馬鹿な女だ。名女優高峰秀子が愚かな馬鹿女になってしまっていることも観ていて実に気分が良くない。

●どうしてゆき子がこんなに富岡にしがみつき続けるのか? その感情の内面をちょっとでも描いていれば少しはゆき子に共感できる部分もあったかもしれないが、これではゆき子の心を全く理解できない。それとも「あの当時の女は誰か男にしがみつかなきゃ生きて行けなかったのよ。それが分かる人にはジンとくるのよ」ということなのだろうか? いや、そんな一時期の状況を身に沁みて知っている人でなければ共感できない主人公、女、映画ならそれは名作などと呼べない。

●話の流れの中にいきなりストンと全く新しい人物を登場させ、後から追いかけるようにその素性を説明するという組み立ても話の理解を遅らせ、混乱させるだけでなんら効果的な演出、表現にはなっていない。過去と現在を入り組ませ、時系列を敢えて複雑にしている手法も分かり難さを増幅させているだけで作品としての完成度を高めてはいない。それ以上に話の流れをぎくしゃくと後に戻したり止めたりして、物語のテンポ、リズムといったものを壊してしまっている。

●これが名作なのだろうか? 名作と言える映画なのだろうか、名脚本家と言われる水木洋子の書いたこの映画の脚本は、ただ単に技巧を使っただけであり、技巧が話に溶け込み自然な演出に昇華していない。却って逆だ。あれやこれやと技巧、作為を使おうとして作品そのものを台無しにしてしまっている。技の形だけを覚え行使しようとしても、形だけでは勝てない柔道のようなものだ。技をどれだけ使おうとも、それが作品のためになっていない、単なる得意自慢、見せびらかしの欺瞞であり、一つの作品をより良いものにする、技を使う意味、何のために技をつかうかという本質の部分が全くもって欠落しているのだ。

●作品を作るものの傲り、高ぶり、傲慢、一方的で自分勝手、観客の側からではなく、作る者の私意や私見で映画と観客の感動を操作出来ると考え、その驕った過信の中で作られた映画だ。誤謬を互いに諭すことなく、こうすれば観客は喜ぶ、こうすれば面白くなるのだと、上から目線で自己の主観が万人に通づるものだと傲った考えを持った脚本家と監督が作った映画なのだ。これは『生きる』に滲み出していた監督、脚本家の傲りに非常に類似している。

●公開当時この映画は大ヒットし、キネマ旬報でもベストテン第一位にもなったということだ。成瀬巳喜男の代表作とも名作とも言われているが、何をもってそう言わしめているのかは非常に不可解だ。

●敢て言うならば、敗戦後の瓦礫の山からようやく立ち直ってきた当時の日本人の心に、この映画が描く苦しかった時代の日本の姿が見事にど真ん中で共鳴したのだろう。苦しかった毎日の生活からようやく抜け出し、明るい未来がなんとか見え始めた1955年。わずかながらも心の中に平和とか安らぎといった安堵の気持ちが宿り始めた日本人が「あの頃は本当に苦しかった。苦しかったけど本当に頑張ってやっとここまでこれたんだ」と、ようやく過去を振り返って見ることが出来る心の余裕ができたときにこの映画が公開されたのだ。終戦から10年。復興を成し遂げ遂げたふっと一息つく事のできた区切りの年に、人々が苦しかった道のりを振り返って見るようになったその心に、この映画の描く終戦間際の日本の姿が辛かったけれど懐かしい思い出として見事に共鳴したのだ。時代の雰囲気に共鳴し、人々が心の思いに共鳴したことが、この映画を大ヒットさせ、名作と呼ばせるに至った理由ではなかろうか。

●自分はこの作品を名作だとは思わない。見事な映画だとも思わない。戦争を知らない世代の自分が観るこの映画は、当時の厳しく辛い様子を伺い知ることは出来るけれど、映画としてこの作品が優れた演出、脚本、ストーリーで出来上がっているものだとは思えない。今こうして観ると粗だとかあざとらしさばかりが目に付く。脚本と監督の演出のわざとらしさ、あざとらしさ、自己中心的で自分勝手な高みから見下ろして作っているような嫌らしさも目につく。

●1955年という時代の雰囲気、人々の心情、そういったものがこの映画を名作や傑作と呼ばしめていたもとしても、半世紀以上を経た今、その時代の苦しさや辛さを共感、共有出来る人ならば今でもこの映画に感動し、思い出とともに涙流すことが出来るのかも知れない。だが、その共感や共有の外にいる人にとって、この映画は全く別のものだ。初めてこの映画を観た自分にとって、純粋に映画として観た自分にとっては、この映画は名作と呼べるような位置にはなかった。この映画は戦争や終戦後の時代を経験した人たちにとっては価値ある一作かもしれないが、純粋に映画としての完成度、質は決して褒め称えるようなものではないと思う。

◎邦画が全盛期だった1950年代前後。この時代を生きた名監督、巨匠と呼ばれる人の中に成瀬巳喜男も入っている。だが自分は成瀬作品は殆ど観ていない。黒澤明小津安二郎木下惠介溝口健二、そして成瀬巳喜男と名監督とされる人の名を並べても、黒澤、小津の作品は今でも映画の教科書のように言われ、全部とは言わないまでも代表作は観ているのだが、木下、溝口、成瀬と来るに従って鑑賞した作品は激減する。作品の名前を言われれば分かるが、成瀬作品は殆ど観ていないのだ。そしてこの傾向は自分の周りも似たり寄ったりであり、仲間内でも黒澤、小津の話はよく出てくるが、成瀬の話というのは殆ど全く出てくることがない。観ている人もかなり少ないというのが事実だ。好きだ嫌いだとかという以前に、何故か成瀬巳喜男作品となると今まで観ようという気持ちがまったく湧いてこなかった。

◎なぜか? 黒澤や小津とほぼ同時代の監督であり、映画の世界では名監督、巨匠と呼ばれているのに、なぜ成瀬作品は黒澤、小津とは比べ物にならぬくらい観ていないのか?(これは一般的にも当てはまるだろう)

◎黒澤、小津に比較して成瀬作品の認知度は低い。それは、ある程度映画をかじっている人でも似たようなものだろう。成瀬監督の作品一覧を見ても、代表作といわれるものをいくつか知ってはいるが、その他の殆どを、知らない。観ていない状態だ。その作品数の多さに反して個々の作品の認知度の低さに驚く。なぜか?なぜ黒澤、小津と同じ時代に生き、同じく巨匠、名監督と言われているのに成瀬作品を自分は観てこなかったのか? 認知度がこんなに低いのか?人気がないからか? メディアが取り上げないからか? メデイアが黒澤と小津ばかりをとりあげるからか?それもあるだろう、だがそれだけではない。

◎敢えて言うならば、自分の主義、主張、信念に基づいて、映画の表現手法を追求し、自分にしか出来ない自分だけの作品を撮ることに挑み続けていた黒澤や小津に対して、成瀬作品は邦画全盛期にあれやこれやととにかく量産された昼のドラマ的な要素が強いのだ。一作一作を突き詰めて精根費やして撮影したというのではなく、工場のベルトコンベアーで次から次へと兎に角作って行った映画とでもいおう。

◎成瀬作品は、黒澤や小津のようないわゆる作家性というもの、監督の思い、信念が色濃く出ている映画ではなく、ある一定の型の中にきちっと収めて作った量産映画のように思える。大量に作られたその映画の中には、型を抜け出た秀作、力作も数本あれど、殆どは量産映画の範疇にあるのではなかろうか。そう、成瀬巳喜男は強いメッセージを持つ黒澤や小津とは全く異なる、言ってみれば仕事をぶれなくきっちりと仕上げる職人、つまり職業監督であり悪く言えば雇われ監督といえるだろう。

◎きっと、その部分がこれまで成瀬巳喜男作品を観てこなかった理由であり、黒澤、小津に比してその作品の認知度が非常に低く、一般的にもあまり観られていない理由であろう。

◎黒澤、小津作品にある、作品から発せられる強い主張、主義、信念、メッセージ、監督の個性、生き様、映画に対する思い、そういうものが多くの成瀬作品から感じられない。それがきっと成瀬作品が一段も二段も遠いところにあり、古くさく、観たいという欲求が沸き上がってこない理由でもある。

◎作品が「俺を観ろ!」と人に語ってこない。監督が「これはどうだ!どう思うのだ」「おれはこう思う、お前はどうだ」と詰め寄ってこない。映画にそういうものが宿っていない。きっとそれが成瀬作品の知名度の低さ、今になっても観ようという人があまり出てこない理由かもしれない。

◎仕方ないことかもしれぬ。映画会社の雇われサラリーマンとして商品として映画を採る事を仕事としていた職業監督といういう立場ではそれも仕方がない。だが、同じ立場にあっても、そこから抜け出し自分が撮りたい映画、自分が作りたい映画を作ろうと、もがき悩み苦しみ映画と格闘を続けた監督たちがいた。何かを創るという仕事は最終的には自己実現だ。黒澤や小津はその方向に足を踏み出した。そこが黒澤、小津と成瀬の決定的な違いであろう。

◎成瀬作品は結局のところ、会社という箱の中でつくられたそこそこの秀作という範疇を突き出ることはなかったのだ。

◎成瀬作品は撮影された当時の時代背景、情景を的確に映していたかも知れないが、同じ時代を体験し、共感出来る人には受け入れられても、そうではない人にとっては時代が変わるとそれは辺鄙な古臭い映像になってしまう。成瀬作品が当時として受けたのは、言ってみればその時々の時代状況を取り込んだ流行物であったことによるだろう。

◎時代を越えて今に通じる普遍的な信条、価値、そういう物がもっと映画の中に植え込まれていたならば、きっと成瀬作品は黒澤や小津と同じように今においても多くの人が見返し、感動し、称賛する作品になっていたのかもしれない。だが、それはないのだ。

1955年度キネマ旬報ベストテン第1位、監督賞、主演女優賞、主演男優賞受賞