『ジャージの二人』

●脱力系、ゆるゆる系、癒し系という言葉が生まれたのはいつ頃だろう。ネットでは1999年以前にはそういった言葉はなかったとする記述がある。やたらと癒しだ、ゆるゆるだという言葉が使われるようになったのは2000年以降の殺伐とした社会状況が背景にあるのだろう。

●脱力系だとか、ゆるゆる系だとか、癒し系だとか言う言葉は、その言葉に相対する状況にある人の為のものであり、相対する場所から抜け出したいと希望している人が、求めているモノを状況を表している。そういう状況を求めていない人にとっては、ゆるく、けだるく、退屈なものともなる。

●高原の景色を映した映像は美しい。美しい自然の風景を見ると、いいなー、夏も暑いしこういう所に今からふらっと行きたいななんて思ってしまう。人間がイメージとして作った癒しやゆるゆるではなく、ありのままの自然がもつゆったりとした空気ならいつでも受け入れたい。それは何かに癒されたいという気持ちではなく、もっと心を豊かにしたい、心をもっとおおきく膨らませたいという気持ち。

●高原のきりっと引きしまった透明感ある空気、くすみのない緑の野菜畑、山にかかる白い雲と青空、爽やかで美しい。ストーリーは別に特になんでもない。

●余計なお世話として、1800円払って都会の映画館に入って1時間半の癒しをこの映画に求めるならば、東京にいたって一時間も電車に乗れば山の麓にいくことができる、海のそばにいくこともできる。癒しを求めるなら、虚空のスクリーンの映像のなかにではなく、本当の自然にいけばいいと思ってしまうのだけれど。

●特になんでもない映画、こういう波も山場もないような映画をつくることは却って難しいことだけれど、あまりになんでもなさすぎちゃうかな、映画としてどうかなという疑問もある。

●正直たいくつでつまらないけど、全部観ればほのぼのとして脱力した気分になることは間違いない。こういった映画はそれでいいのかな?

『かもめ食堂』『めがね』のさらに上をいくイイ意味で何もない映画。こういう映画が出来てくるというのは今までの映画の歴史の中から枝分かれしたまったく別の流れ。

●こういう作品が作られ、好まれるようになるという状況はそれだけ社会が人間生活が心が荒んで病んでいるという状況の表れなのではないかと思ってしまう。

ジャージの二人堺雅人、鮎川誠インタビュー:http://www.cinematoday.jp/page/A0001828