『ライトスタッフ』(1983)

● スケール感の大きなホーンの音楽が流れ「The Right Stuff」のタイトルが浮かび上がる。雲の中を突き進むモノクロームの映像。そして、ず太い声のナレーションが重なる。

「大空にはデーモンが棲んでいる、サウンドバリアーだ」

何度観ても胸が高鳴り気持ちが高揚するオープニングだ。

● ひと言で言えばこの映画は非常にカッコいい。スーパーマンやヒーローという類いの格好良さではなく、生身の男の生き方として極めてカッコいい。世の中には星の数ほど映画があるけれど、単純明快に作品そのものがカッコいいと言える映画は滅多に無い。だが『ライトスタッフ』は兎にも角にも、極め付けにカッコいい映画なのだ。

● こんな風になりたい、こんな生き方をしたい。"男が憧れる男" の姿、理想をこの映画のパイロット達は具現化しているのだ。そしてそれは女性にとっても「こんな男性っていいな、素敵だね。こんな男の人達って羨ましい」と思わせる存在なのだ。

● 『ライトスタッフ』が好きだ!という映画ファンは結構多い。そして、この映画は非常に男っぽい男向けの映画なのに、『ライトスタッフ』が好きだ!という女性も結構沢山いる。(ある程度以上の映画ファンに限定されるが) この映画は男から見ても女から見てもカッコいいのだ。男が憧れるような男の生き方は、女の目から見てもカッコいいし、理想の男に繋がるだろう。

● この映画の中ではパイロット達の妻の姿も男達を支える重要な存在としてしっかりと描かれている。

「男なんて!」
「大きな子どもみたいなもの」

と女同士で話ながらも、男達が戻る場所をしっかりと守っている妻たち。男っぽい映画の中に、妻たちの姿、妻たちの女性からの視点も描かれている。そんな部分も女性がこの映画を支持する一因であろう。

● この映画は劇場公開時に数回、VHS、LD、DVDと新しい形でソフト化される度に何度も観て、一作品を繰り返し観た回数が一番多い映画だ。もうたぶん数十回は観ているだろう。そのくらい好きな映画でセリフもシーンも粗方頭の中に入っているのにまた観たくなってしまう映画だ。ビル・コンティーの胸が高まり、心が高揚するようなスケール感のある音楽も素晴らしい。ユーモアのあるストーリーもいい。パイロット達の友情にも痺れる。

そしてなによりもこの映画を観ると気持ちがスカっとして晴れやかになる。

● ラストで「我、天を目指す*」と一人大空へ飛び上がっていくゴードン・クーパー。窓から差し込む陽光に「神の光のようだ」叫び、青空高く白い煙を噴き出して飛んでいくロケット。ここにオープニングと同じず太い声のナレーションが重なる。そのナレーションの声は誇らしげに高らかに笑いながら語る。

「その輝かしき日、ゴードン・クーパーは地球を22周回り、つかの間の一瞬だったが、彼は紛れもなく世界最高のパイロットだったのだ!」

・このナレーションが最高にいい! ワッハッハ、どうだ!見たことかぁ!と自信たっぷりに勝ち誇った笑いが聞こえてくるようだ。

・そして、ようし、俺も頑張るぞ!と自分の気持ちを鼓舞されるのだ。*(“blue yonder : 青空の向こうへ" を “ 我、天を目指す”と訳したのもなかなか)

ビル・コンティーの素晴らしいマーチが流れ、青空を進むゴードンのロケットの映像が続く。このラストを観る度に「ああ、やっぱりこの映画はいいなぁと心から感じる」

● やっぱりこの映画は自分の中でオールタイム・ベスト1かも知れない。

● 今回「ライトスタッフ」を観て気が付いたことが一つある。

パイロット達は自分の夢を追いかけていた訳ではないのだ。”

職業軍人としてパイロットになり、その中で虚栄心、競争心からサウンド・バリアーを破り、最高速度を記録することに命を賭けて競った。マーキュリー計画でも、パイロット達が目指していた宇宙へ飛び立つという目標は仕事の中で舞い下りてきた目標であり、チャンスだ。仕事の中で物足りず、自己満足を求めて記録を塗り替えに目標を設定し、そこから繋がって宇宙へ飛び出そうとした "彼らの目指したもの" は、家族を養うために仕事をするなかで見つけた後付けの目標だった。

・この映画にものすごく共感するのは、玉虫色の夢物語、成功物語ではなく、仕事に束縛されるという男にとってどうしても避けられない現実のしがらみの中から《高い目標を、夢を、希望を》見出し、掴み取って行った男達の話だからなのだ。だからこそ、ストーリーに元気づけられ、鼓舞され、よし俺も頑張ろうという気持ちになるのだ。

● この映画には名シーン、名セリフがいっぱいだ。これは脚本の素晴らしさと言っていい! それを一つ一つ書き出したら、結局映画全部を説明することになってしまうくらい素晴らしいシーンが詰まっている。

音の壁を破ってやったぞ! お次はなんだ!」
「WHO IS THE BEST PILOT YOU EVER SAW?」(今まで最高のパイロットは?)
「YOU ARE LOOKING AT HIM」(今見ているじゃないか)
「YOU GOT ANY BEEMANS?」(リドリー、ガムを持ってるか?)
「I MIGHT HAVE ME A STICK」(ああ、あったと思う)
「LOAN ME SOME, I will PAY YOU BACK LATER」(ちょっとくれないか、後で返す)
「THINK I SEE A PLANE OVER HERE WITH MY NAME ON IT」 (俺の飛行機が待ってる・・・)
この辺りのシーンは毎回観る度に息をのみ、ぐっと見つめ、ブルブルっと震える。

1984年に日本で劇場公開された時、オリジナルが3時間13分という超長尺だったため、日本側で2時間40分に再編集して上映された。(それでも当時としては結構長い) (フィリップ・カウフマンが「日本で編集するなら黒澤明に頼んでくれ」と言ったというのは本当だろうか?) 劇場でいわゆる短縮版を観た時に、これは明らかに話の流れが繋がっていないと感じる部分が2ケ所あった。

1) ガス・グリゾムのポッドが海面に着水しヘリが回収する前にハッチが爆発して開いた。そのすぐ後、いきなり原因を調査する審問室になる所。(話が飛んでいる)

2) ジョン・グレンのポッドが故障した状態で大気圏に突入。炎に包まれるポッドの中で、ジョンが鼻歌を歌って熱さをこらえて耐えている場面がいきなり切れて、凱旋パレードのシーンになる(飛ぶ)。

1) に関してはオリジナル版で、ヘリに救出された後、ガスが「急にハッチが爆発したんだ、俺は何もしていない」と船上で弁明し、ポケットから宇宙のお土産にしようとしていたポッドのおもちゃを落とすシーンが復活していたのでシーンの流れにおかしな部分はなくなった。

2) に関してはオリジナル版でもそのままであり、まるでぶった切りのようなこのシーンが残っている。「あそこのシーンはおかしくないか?」「凱旋パレードはジョンの夢の中のシーンかと思った」という意見は他でも聞く。どう考えてもこのシーンは繋がりがおかしく、フィリップ・カウフマンがなぜこんな状態で映画を完成としているのか疑問。このシーンは作品の完成度を低下させている不可解な編集だ。大好きな作品だがこの部分だけはちょっと納得がいかない。

● 『ライトスタッフ』が初めてDVD化されたのは2000年、この時のディスクは両面一層という今で考えればとんでもない仕様だった。(途中でトレイを空けてディスクをひっくり返さなければならない) 尺の長さと画質を考えた圧縮レートでは、片面一層には納まらず、かといって片面2層ディスクはコスト的か、または工場の設備対応ができなかったかで苦肉の作で両面ディスクなんてものを作ったのだろう。その後のスペシャル・エディションでは片面二層に収められたが、最初のディスクは「昔はこんなDVDもあったんだよ」という珍品として面白い。

● 日本公開版とオリジナル版では33分の尺の違いがある。日本版に無かったシーンは以下のような部分だった。(正確ではない部分、足りない部分もあるとは思うが)

1)砂漠に待機するX-1を馬に乗ったイエガーが見つけた後、崖を下りてX-1に近づき砂漠に走り去っていくシーン。
2)イエガーがパンチョの店の外でグレニスを抱き寄せ月に向かって吠えるシーン。
3)BBQをしているクーパーが焦げたソーセージを妻に見せた後、「お別れよゴードン」と妻が言って消えていくシーン。
4)ライフの表紙撮影で妻たちの集合写真を撮り、契約金と手記について説明を受けるシーン。
5)ライフの表紙が猿となった後、イエガーが月を見上げるシーン。
6)ガスがヘリに救出されてから、戦艦の上を歩き、審問室に移るまでのシーン。
7)パンチョの店が火事で焼けるシーン。
8)焼け落ちたパンチョの店でイエガーとグレニスが語り合うシーン。「俺が一番怖いのはお前さ」「そんなことはない、でもうれしいわ」と語るシーン。
9)チトフに対抗して不具合の続くアトラスを打ち上げるとグレンに電話で伝えるシーン。
10)クーパーがオーストラリアで現地人アボリジニと話すシーン。
11)グレンのポッドの周りに無数の光の粒が現れ、まるで蛍のようだと語るシーン。
12)テキサススタイル・パーティでミス・サリーランドが羽の舞いを踊るシーンからドーンという音がしてパイロットが上を見上げるシーンまで。

●オリジナル版で復活してよかったシーンもあるが、冗長と感じられるシーンもある。日本版ではパイロットの妻たちを描いたシーンはかなりカットされていた。

●オリジナル版でグレンのポッドが光の粒に包まれるシーンは美しく、これは復活して良かったが。ラスト近くの羽の舞いのシーンは無くても良いのではないかと思う。


◆『ライトスタッフ』という映画はそれほどメジャーな作品ではない。どちらかといえば映画関係者、映画通からこの映画を好きだと聞くことが多い。たぶんそれは、この映画に今のハリウッドが失った、映画らしさ、映画を作ることによって成し遂げようとしていた夢や希望が残っているからなのだ。
◆元々のハリウッドの映画人は映画を作ることを誇りとし、映画で人に夢や希望を与えようと考えていた。そういう心で映画作りをし、それがハリウッドの精神になり、伝統となっていた。だが、1960年代後半からの映画産業の低迷時期にハリウッドには映画人以外の人種が流入してきた。経営状態の建て直しという大命題があったわけだが、証券会社、銀行、弁護士などがスタジオのトップに着くこととなり、映画を愛する映画人ではない、金と権利の仕事をメインとするビジネスマンが映画製作の動向に口を挟むようになった。
◆良い映画を、感動する映画を、沢山の人に夢を与える映画を作ろうという心は、収益の高い映画を、儲かる映画を、今一番受ける映画を作るという手段に置き変わった。
◆今にしてみれば「そんなことあたりまえだ」と言われるが、少なくとも1970年代位までは、直近のスタジオの収支が悪化しても、本当に良い映画を、心に届く映画を作れば、それが将来的には利益をもたらすと考えられていた。

◆そんな金勘定だけではなく、本当に良い映画を作ろうという映画人の心意気が、この「ライトスタッフ」から熱気のように伝わってくるのだ。だから映画人はこの映画に今のハリウッドが無くした映画作りの夢や希望、スピリットを感じ、この映画を好きだというのだと思う。

◆映画の最初にも出てくるロゴ、LADD COMPANYは『シェーン』の主役であったアラン・ラッドの息子であるアラン・ラッド・Jrが作った製作会社。ハリウッド全盛期を生き、メジャースタジオのトップを歴任したアラン・ラッド・Jrは、20世紀フォックスに居たとき、メジャー・スタジオ各社に拒絶されていたジョージ・ルーカススター・ウォーズの企画を唯一とりあげた人物だった。そのアラン・ラッド・Jrが率いていたLADD COMPANYは、映画人が良い映画を作ろうという精神が生きていた会社だったのだろう。ライトスタッフは収支計算、損得勘定だけで映画作りをするビジネスマンではなく、映画を愛し、よき映画を作ろうとする情熱に満ちたアラン・ラッド・Jrの会社が製作した。其れ故にこそ、「ライトスタッフ」は汚れていない男の夢や、情熱が宿った、映画を愛する映画人の心意気がこもった素晴らしい映画になった。映画人の情熱が映画のなかで熱く輝いている映画になったのだ。

◆映画を愛する人は、今の映画に無くなってしまった古き良き時代の匂いをこの映画から感じとっているのだ。だから、「ライトスタッフ」は映画を愛する人にこよなく愛される映画として今に伝わっているのではないだろうか?