『スターウォーズ/最期のジェダイ』

☆☆ネタバレあり☆☆


・待ちに待ったスターウォーズ EP8の公開! 事前の情報、予告編などから想像していたことはすべていい意味でひっくり返され、期待にそぐわぬ素晴らしい作品に2時間33分スターウォーズの世界にどっぷり浸かって、物語を堪能! 目の前のスクリーンのなかで片時の別世界を味わえた。文句なしの満点だ、100点満点、映画映像としても極めてハイレベルなところに達している。人が絵をどうみたら、どういう角度でどういう配置で並べたら最も効果的に臨場感や恐怖感を味わえるかという点も極限まで計算されていると言えるだろう。そのくらい映画としてのできが良い。・・・だが、観終えて時間が立つに連れて・・・気持ちが少しずつ変化してくる。確かに素晴らしい映像、脚本の作品だ、だがそれ以上のなにか、満点を超える何かが無いかもしれないと。

・脚本は練に練られている。物語の整合性に疑問がでないように、きっちりとした話の理由付けが明確になされていて「あれ?」とか「ここおかしいんじゃない?」と観ていて思うようなところはほぼなかった。」(後から何点か思いつくところが出てきたが) ストーリーの流れもほとんどひっかりがなくスムーズだ。上映中も上映が終わっても「うーん、これは隅々まで感覚が行き届いた実にクオリティーの高い映画だ」「拾にスキがない、なんて密度が高く、がっしりと四ツに構えた映像の集合体なんだろう」とほぼ陶酔状態だったのだが・・・しばらくすると、だんだんと魔術が解けてくるように何かが足りない気持ちが沸き上がってきた。

とりあえず一回観ただけなので記憶が不確かだったり、間違えてとらえてしまっているところもあるかもしれないが、気になるところを、気に入った所を羅列しておくとしよう。

☆《ヨーダの造形に泣けた!》
前作『フォースの覚醒』では監督のエイブラハムがSW過去作へのオマージュ、回顧に走りすぎているという批判があったが、長らくのスターウォーズ・ファンとしてはそれはそれでワクワクドキドキしてとても良かった。ハン・ソロとチューバッカがミレニアム・ファルコンに戻ってくるシーンは感涙ものだったし。崩れ落ちたスターデストロイヤーや、AT-ATスノーウォーカーが画面に出てくるたびに歓喜した。
《 2015-12-22日記 『スターウォーズ/フォースの覚醒』SWファンにとって最高の傑作 》
今作では前作で批判も受けた懐古主義的な部分は少なくなっているという話を聞いていたが・・・なんのなんの、所々にファンなら喜ぶ旧作SWのセリフや映像がさりげなく散りばめられていて、なかなか憎い作りであった。そんな中で1番良かったのはヨーダの登場シーン。CGIの技術は格段に進歩していて、もはやどんな映像でも作れないものはないという状態であるのに、今回のヨーダ−はなんとその最先端のCGIで「エピソード4帝国の逆襲」に出てきたマペットヨーダ−を復活させているとは・・・監督たちのこのこだわり、この意識には敬服するね。作品の時系列を合わせる意味でもヨーダはEP4-6よりもさらに年齢を重ねているのは分かるのだが、あの1970年当時のマペットの風貌、動きをそのままに再現させているとは・・・お見逸れしました。EP5そのままに、杖をつきながらよちよち歩きをするヨーダ。新三部作のEP1-3でありったけCGIを使ってあのピョンピョン素早く目にも止まらに速さでライトセーバーを振り回すヨーダには驚いたが、ちょっとやり過ぎという感もあった。それが今回はなんとでも動きを作れるはずのヨーダをわざわざマペットのぎこちない動きに合わせて作っている。ここにはスターウォーズへの愛を感じるなぁ。そしてヨーダがルークと並んで遠い空を見上げるシーン。見事にEP5の若きスカイウォーカーとヨーダの並んだシーンへのオマージュ。こういうところにSWファンとしては嬉しくて涙が出てしまう。

☆《完璧なまでに美しい配置》
バージョンアップしたAT-M6ウォーカーのなんともカッコよく強そうで恐怖感のあることあること。AT-ATスノーウォーカーのデザイン上の弱点、足の弱さなどを見事に取り除いてまるで強靭な猛獣の如くにしあげている。並んで登場するシーンは画角、配置ともベスト。小津安二郎の人間、道具の配置へのこだわりのように、この登場シーンはそれぞれの位置関係、観客からの視点など徹底的に計算されて場の雰囲気を作り上げている。このシーンは素晴らしい絵であり写真だ。

《全然動かないスターデストロイヤー》
なんでもかんでも大きく、大きくすればいいってもんじゃないと思うが、今回の作品でメガ・スターデストロイヤーというやたら横にただ長いだけのような全長60kmとかいう設定の巨大艦船が出てきた。たしかにデカさに凄いなぁとは思うのだが、これただ浮かんでるだけ。そしてもっと悪いのは、いままでのシリーズで帝国軍の圧倒的な力の象徴でもあったスターデストロイヤーが相対的にちっちゃくなってしまって、後ろの方にこれまた浮かんでるだけ。ほぼ戦闘、攻撃にも参加してない。「なんだよ、スターデストロイヤー全然動いてないじゃないか」とスクリーンを観ながらイライラ憤り。今回の作品からファースト・オーダー・ドレッドノートなるスターデストロイヤーの2.5倍、19kmもある新艦船も出てきているということだが、メガ・スターデストロイヤーがでかすぎてこのドレッドノートもまるで目立たず。というかこういう馬鹿みたいにデカイ船をわざわざ設定しちゃったために、旧3部作のEP4冒頭で、あのスターデストロイヤーがドーンと出てくるあの巨大感にのけぞって驚いた体験がちゃかされてしまった。正直意味なしというくらい大きさだけを強調した今作品の船艦のせいで、過去の作品が持っていた素晴らしい映像体験やイメージまでもぶち壊してしまったといえるだろう。これはSWファンとして声を大にして非難する! 

《ポーグはただのおちゃらけキャラだったのか》
可愛らしい姿で公開前から注目されていたポーグ。ファルコン号でチューイと一緒にコックピットにいる映像などからも、このちっちゃくて可愛いキャラがどういう力をもっているのだろう。チューイと一緒にファルコンを操ってなにかもの凄い活躍をするのだろうか? などと想像していたら、ただ単に可愛いだけのおちゃらけキャラだった。重力がかかって窓にぎゅ〜っと押し付けられるシーンだとかは笑えたが、完全にディズニーのキャラ売り戦略の部品というだけだったとは。もうフィギアやぬいぐるみを売るためだけに追加したキャラという魂胆がミエミエでどうしょうもない。それとも次回作でなにか活躍するシーンでも加えられるのかな? そうでないとあざとすぎるもんな、このキャラは。それでもイウォークやジャージャービンクスよりは良いって? 確かにそうか・・・・(-_-;)

スターウォーズに燃料切れの話はダメダメだろう》
宇宙の話はねぇ、色々あるけけど、それをやっちゃいけない、それは当然のこととして受け入れた上で観てないとどうしても辻褄合わなくなる部分は出てくる。1番はっきりしてるのは爆発の音。宇宙じゃ音しないでしょ、ドーッカーンとかね。でもそれは目をつぶって見てるわけだし、音がしなかったら映画としてやはりつまらない。(キューブリックは音を消したけど)、同じくこんな巨大船艦で食料はどうしてるの、水はどうしてるの、空気は・・・そして燃料は?? イオンエンジンは、ハイパースペースドライブは・・・いろいろ未来の技術が開発されて現実世界のように燃料に煩わされることはほぼなくなっているという仮定の上で宇宙物の映画をみんな見てるわけで、燃料どうしてるんだろう、こんなに飛べるはずないだろう、嘘だ!と言ってしまったら全部話が台無しになってしまう。だからそういった現実世界的な制約は取り除かれているとう仮定でSF映画はみんな観ているわけなのに・・・燃料がもちません、後何時間でなくなります・・・ていうのをストーリーにいれてしまうのは、大大大失敗、失策なのだけどねぇ。監督や脚本家はこれだけ素晴らしくまとまったストーリーを作り上げたのに、その部分は気が付かないのか? それとも話を作り上げる発想力が足りなくて、つじつま合わせで燃料不足をもちだしたのか? 何にしてもダメダメ。

《ハイパードライブで敵艦に神風アタックもダメだろう》
これも、今回やっちゃったら、今までだって危機に陥ったときにただ撃ち落とされるんじゃなくて、ハイパードライブで突っ込めばスターデストロイヤーもやっつけられただろう・・・と思うよねぇ。ホルド提督がカミカゼアタックでメガ・スターデストロイヤーに突っ込み爆破するシーンは少しウルウルきたけれど。

ハイパースペース・トラッキングシステム》
ハックス将軍が「奴らに紐を付けておいた」とするハイパースペースを超えても相手を追跡出来るというシステム。これに対してフィンとローズが「奴らの追跡システムを破壊するのよ」というのが物語の大事な筋になっているのだが・・・なんで、追跡されてるって分かったら、本体の追跡システムを壊そうということになるのか? 相手の追跡システムを解除しない限り、永延に後を付けられてしまうと考えるんじゃなくて、普通に考えれば自分たちの居る船に何か追跡システムに信号を送る装置が付けられている、それを探して壊そうと考えるでしょ。つまり発振器、ビーコンがどこかにあるって考えるのが当然なんだけど。。。sらにおかしいのは、レイには居場所がわかるようにビーコンを持たせてる・・・ハイパースペース超えてルークの居る星にいってるのに?? んー、もうこういう部分でで突っ込み所満載なんだよなぁ。いや、全体的に脚本の出来は素晴らしいのだけれど、サラーッと見ていると粗にはあんまり気が付かないんだけど、よく考えると、監督や脚本家達が“よく考えていない”ところがあれこれ見えてくるんだよなぁ。大体にして30年以上前の設定となる『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』でオビワンが逃げるジャンゴ・フェットのポッドに追跡用の装置を投げつけてくっ付けるシーンがあるじゃない。てことは、ずっとまえからそういうシステムは出来ていたんじゃないの? とか言いたくなるんだよね。

コードブレイカーの話は伏線が回収されていない》
マズ・カナタがファーストオーダーの暗号破りはこの目印を探せ!といって示した花のバッジみたいなやつ。カジノでその目印を付けてた奴はあれ、誰なの? デル・トロ扮するDJが実はあの目印を付けてるやつにだまされて監獄に入れられた、というなら話もまあ繋がるが、あの目印に関しては映画のなかで結局何のお話もなし。伏線がまるっきり回収されず投げ捨てられてる状態。今回の映画公開版は上映時間153分と現状でも長尺だが、監督のライアン・ジョンソンが完成版から50分近くをカットして劇場公開版にした、未公開部分はブルーレイに収録するなんてことを言っているので、ブルーレイになったところで、あれこれつじつまの合わないところや、なんかここが変だという部分が分かってくるのかもしれない。それにしても、2時間33分もありながら話として???と疑問に思った所が何箇所かあるので、この劇場公開版はディレクターズカットじゃなく、短縮版という扱いになってしまう可能性もある。ロード・オブ・ザ・リングのときも同じようなことやってたな。これもソフトを売るためのあざとさに思えるが。
いきなり出てきたけどマズ・カナタが「労使交渉やってるんだよ」といって銃撃戦してるのはちょっと笑った。マズ・カナタも不気味な老女じゃなく、なんかヨーダ的なウケ狙いキャラにしようとしてるのかもしれないが。

《毎度のことだがシスってあっさり殺られる》
ファーストオーダー最高指導者スノーク。フォースのダークサイドを使い手、シス。だけど・・・あっさり殺されるよなぁ。それだけ強いのに、人間の心も読めるのに・・・。真っ二つにされるというのはお約束をきちんと踏襲してるが、それにしてもなんかあっさり過ぎ。でも考えてみれば、EP1でのダース・モールもあっさり、あれぇ〜という感じで真っ二つ、いとも簡単に殺られた。ドウーク伯爵もあっさり首を落とされるし、絶対勝ち目なさそうだったパルパティーンは反応炉に突き落とされて死んじゃうわけだし、シスじゃないけどグリーパス将軍も、もの凄い強いという話だったのに、オイオイというような情けない殺られ方で死んじゃったし、スター・ウォーズに出てくる悪の皇帝やら支配者、将軍・・・なんか邪悪でもの凄い強そうな設定なのに、ぜんぶあっさり殺られてる。(ダース・ベイダーだけは例外?)ことさら今回のスノークの殺られ方って、余りに簡単すぎないか? なにが最高指導者でなにがシスなの、どこが邪悪でどこが強いの? と思わずにはいられない。

《レイは一体どうして強いフォースを持っているのか》
カイロ・レンがダークサイドに堕ちるきっかけとなった話は巧く出来ていた。ルークがその原因だったとはかなりの驚きであり衝撃的であった。しかしなぁ、ダース・ベイダーの息子であるルーク、双子の娘の子だから孫にあたるベンことカイロ・レンで、カイロ・レンがルークを押しのけてジェダイ寺院を崩壊させるほどのフォースを持っていると言うのはイマイチ納得がいかない。母親であるレイアがダース・ベイダーの娘なのだからスカイウォーカー家の血筋を引いているとしても、母親も父親であるハン・ソロジェダイにはならなかったし、レイアのフォースが特に強かったというわけでもないんだが。そしてそれ以上になぜレイは他のだれよりも強いフォースを持っているのか? この点に関してはなんら答えが示されていない。レンとレイの会話ではレイが両親から見捨てられたただの娘だという話レイがするわけだが。カイロ・レンとレイの会話のシーンです。カイロ・レンがレイに「お前の両親は何者でもなく、ジャクーでガラクタを回収していた夫婦ですでに死んでいる。お前は見捨てられたのだ」と衝撃の事実が告げられたが、じゃあなんでレイはあんなに強烈なフォースを持っているのか? 

ハン・ソロは本当に死んだのか?》
これもまたレンとレイの会話でだが、レイが「あなたは父親を殺したのよ」と言ったところでレンが「本当にそうおもうのか」というようなことを言っていた。ん??? 確かに「フォースの覚醒」でハン・ソロライトセーバーで体を射抜かれ、船艦の底へと落ちていくのだが、実際に死んだ様子の描写は一切なし。葬式もなし。でもレイア将軍が夫であるソロの死を感じたような部分はあった。でも完全に死んだという描写はなかった・・・さてここもどうなるのか?

《ルークのホログラムはダメでしょ》
もうさぁ、あれをやったらなんだってオッケーになってしまうじゃない。( ´Д`)=3 それとラストでレジスタンスの指輪を付けた子供がフォースを使うような場面があり、次回作への希望につながっていくようなシーンがあるが、なんかこれもわざとらしく、よくよく使われてきたような子供っぽいシーン。まるでディズニーの子供向け冒険物語的な終わり方だ。

[:W316][:W309]

と、ここまで書いてきたら、否定的な所感ばかりになってしまった。この作品を観終えたときには「凄い完成度だ、スキがない、凄い映像だ」と溜息を付くほどにどっぷりスターウォーズの世界に取り込まれ、凄い凄いと感嘆し、かなりの満足感に浸っていたのだが・・・時間が立つに連れて、いろいろなシーンを振り返って考えるに連れて、どんどんと疑問や不満、納得の行かないところが出てきた。

映画の完成度は高い、でも何かスターウオーズ的でない変なものを感じる。商業主義、ディズニーの金儲けの道具的になった部分も大いに感じる。少なくともこれは絶対に言えることだが・・・

「帝国の逆襲」を超える最高傑作!・・・というのは違うな。

当初に予想していた展開は見事にほとんど外れた。カイロ・レンがまるで母親であるレイア将軍を攻撃するかのような予告編の作りや、ポスターで示されたダークサイドに落ちたようなルークの姿も、言ってみれば全部ブラフでありあったな。まるで思っていたこととは違った驚きの展開だったし。でも、その驚きとスター・ウォーズでこれまで感じてきた驚きはちょっと違う。やはり「帝国の逆襲」での「私はお前の父親だ」に勝る驚き、衝撃は無い。自分が映画に求めているものの一つである「やったー!」という爽快感、感動、気持ちよさというものは残念ながらなかったといえるだろう。改めて思い起こすと今までのスター・ウォーズ・シリーズのテイスト、雰囲気から少し違う方向に映画が向きを変えている感じがする。それが次のエピソード9でどうなるか? 新たな3部作まで作られるということなので、ディズニーにしてみればスター・ウォーズはやはり最大のドル箱であろう。

公開から今日で一週間。アチコチに書かれている考察、感想、批判、賞賛などを読んでいると、一回の観賞では分からなかった、とらえきれなかった細かな部分を色々と説明してくれているサイトも多々あり、凄いなぁと思う次第。もう少しあちこち読んだり見たりしてから、年内にもう一回観賞しようかなと考えているところ。但し、普通なら二回目は日本語吹き替え版で観賞するのだが、日本語の予告編やCMなどで観るとどうも今回の吹き替えはレイの声にしても喋り方にしてもなんとも軽薄で脱力してしまう雰囲気なので、二回目も字幕で見るかもしれないな。

いよいよ今週末公開『スターウォーズ/最後のジェダイ』

久しぶりだ、本当に久しぶりだ、これほどまでに公開が待ちどうしい、一体どうなるんだ、どんな展開になるんだと期待と不安に、こんなにもワクワクドキドキする映画は何年に一本だろう。今までのシリーズを通しで観てきたSWファンとしても、今回の『スターウォーズ/最後のジェダイ』ほど期待感と不安が交錯する作品はない、なかった。

ルーカスフィルムを買収したディズニーが作る新シリーズ第一作 エピソード7は不安だらけだった。ディズニーの商魂がスターウォーズという作品を新シリーズでめちゃくちゃにダメにしてしまうのではないか、そんな思いが強かった。しかし、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』はそんな不安を払拭し、やったぞ!という大喝采を贈ることの出来る素晴らしく気持ちのいい作品であった。(エピソード4の懐古的要素が強かったのが、かつてのファンにとってうれしかったという部分も大きいが)

そして2年を置いて公開される今回のエピソード8『スターウォーズ/最後のジェダイ』は新シーリーズの序章であったエピソード7の懐古的な内容から大きく話が飛躍し、大団円となるエピソード9に向かうほんとうの意味での本題となる作品であろう。

ちょろりちょろりと作品に関する噂や情報は流れてきているが、本筋に関わる部分はきっちりとした情報統制のおかげで、いったい話がどうなるかはまだまったく分からない。だが、SWファンとして今までの情報を元にして公開前に『スターウォーズ/最後のジェダイ』がどんな話になるだろうかと想像してみた。公開まであと3日。同じSWファン同士で、あーでもない、こーでもないと予想を話し合うのは映画を観る前の楽しい時間でもある。ワクワク感がさらに増幅する。さあどうなることだろうか!

勝手なそしてファンとしての期待を込めてこうなるだろう、こうなって欲しいという思いはこんな感じ。

◎まず第一に「ルークがダークサイドに落ちる」

最期のジェダイという副題もそうだが、先日公開された劇場用ポスターで示された、ダークサイドの赤に覆われるルークの顔。さrに、闇か!と書かれたポスターのルークはベールをまといまるで父であるダースベーダーの如くである。


伝説のジェダイ、最期のジェダイであるルーク・スカイウォーカーはダークサイドに堕ちるのか・・・たぶんそうなりそうだ、そうであろう。だから、映画の副題が「THE LAST JEDI 最期のジェダイ」となっているのであろう。(レイアもスカイウォーカーの血を引くがジェダイのトレーニングはしていないのでジェダイにはなっていない)

では、なぜルークはダークサイドに堕ちるのだろう。フォースの力を持ったものがダークサイドに堕ちるきっかけ、それはこれまでのSWシリーズで何度も繰り返し述べられてきたように“怒り”と“憎しみ”だ。怒りと憎しみに心が因われたた時、ジェダイはダークサイドに引きずり込まれる。愛するパドメを失った時のアナキンがダース・ベイダーになったのも悲しみを上回る怒りと憎しみに心が支配されたからだ。皇帝パルパティーンはその期を逃さず、アナキン・スカイウォーカーをダークサイドに導き、自らの下僕としてダース・ベイダーに変えた。

では、ルークがどんな怒りと憎しみでダークサイドに堕ちるのか。ジェダイとして帝国軍と皇帝パルパティーンを破り銀河に平和を取り戻したほどのルークが、まさかのダークサイドに堕ちるほどの怒りと憎しみとは何か?

それはカイロ・レンによる親殺しであろう。

エピーソード1−6までのシリーズのテーマはダースベーダーの贖罪であった。またルーカスがこのシリーズにヨーロッパ神話から取り入れたものの一つとして、親殺しの罪とそれに対する右腕を切断する罰、そして贖罪というものがあった。その要素は新しいシリーズにも取り入れられていて、前作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』ではカイロ・レンが父親であるハン・ソロを殺すといういたましい場面が衝撃的であった。(ハン・ソロがほんとうに死んだかどうかはまだ???だが)

ジェダイであるルークならば共に帝国軍を倒すために戦ったハン・ソロの死に気がつかないはずがない。しかし、遠く銀河の辺境の地でジェダイであることを隠し、身を潜めていたルークはフォースの力も内に閉じ込め自分の居場所を悟られないようにしていた可能性がある。するとつまり、ハン・ソロの死も感じ取る、知ることは出来なかったのかも知れない。

そして、今回の作品の予告編で分かるようにカイロ・レンは自分の中に残るライト・サイドを消し去るために母親であるレイアを殺す。あまりに酷い話だ、カイロ・レンは自分が師と仰ぐダース・ベイダーに近づくために息子でありながら自分を産んだ父と母をも殺すのだ。これはほんとうに酷い話である。

しかし、ルークは未だそのことを知らない。フォースを目覚めさせたレイにジェダイのトレーニングをする中で迷いや不安に苛まれている。そこに、レイアを殺したカイロ/レンが最期のジェダイであるルークを抹殺すべく、トレーニングを続けるルークとレイの前に現れる。そしてルークに告げるのだ「ハン・ソロもレイアも俺が殺した」と。

カイロ・レンが無二の親友であるハン・ソロと、双子の妹であるレイアの二人を殺したことに、ルークの怒りは爆発する、抑えていたフォースの力を解法する、それはカイロ・レンに対する激しい怒りと憎しみを伴って・・・そして、それはファーストオーダーの指揮者であり、シスの暗黒卿であるスノークが巧妙に仕組んだ罠だったのだ。スノークは善の心を残すカイロ・レンを利用して、本来のスカイウォーカー家の1人であり、ダース・ベイダーの子である最もフォースの強いルーク・スカイウォーカーをダークサイドに引き込むことが本当の目的だった。カイロ・レンはそのために利用されていたのだ・・・・。

と、ここまでは今までの情報から『スターウォーズ/最後のジェダイ』のストーリーを自分で勝手に推察したものである。さて、15日に公開される映画本編を観てどうなるか、楽しみでもある。

まあ、ここまで話がくれば「最期のジェダイ」という副題にもダークサイドの側に落ちたようなルークの劇場ポスターにも納得が行く。

さてと、その後はどうなるかだ。今時点で公開されているトレーラーでは、レイが泣きながら「私には誰かが必要なの、私の居場所を示してくれるだれかが・・・」というセリフに続けて、カイロ・レンが手を差し伸べるている。

最初これを観た時、レイまでがダークサイドに引きずり込まれるのかと思ったが、ひょっとしたら・・・ジェダイのトレーニングをしていたルーク・スカイウォーカーがダークサイドに引きずり込まれてしまう、そしてカイロ・レンは、自分がスノークに利用され、父と母を殺し、それは実はルークをダークサイドに引き込むための罠であり自分はスノークに利用されただけなのだと気がつく。

そして、カイロ・レンとレイは二人で力を合わせて、ファースト・オーダーとスノークを倒す事を誓う。。。。それがエピソード9に繋がる・・・・なんていう結末を期待したい。

最初は『スターウォーズ/最後のジェダイ』はどうにも暗い暗い、どうしょうもなく重い、希望のないストーリーになるのではないかとも考えていたが、もしカイロ・レンとレイがスノークの陰謀に気が付き、二人で手を合わせてファースト・オーダーを破り銀河に再び平和を取り戻すんだ!という話につながるならば、夢と希望は潰えていない。ルーカスがSWシリーズに仕込んだ親殺しへの贖罪というテーマも、両親を殺してしまったカイロ・レンがその贖罪のために、ファースト・オーダーとスノークを叩き潰すというのであればなんとか話に筋も通りそうだ。

さてはて、どうなるか? なんにしても暗いストーリーで終わって欲しくはない。最期には次のエピソード9に繋がる大いなる希望を持たせたエンドになって欲しいと願ううばかりだ。

まだ他にもポー・ダメロンにしろフィンにしろ、色々なストーリーはありそうだが・・・とりあえずメインに3人に関しては色々話て、こんな感じかな? もしくはこうなって欲しいという希望がこれだな。

あとは、ちょっと冗談だが、フィンとキャプテン・ファズマが対決するシーンがあるが、もしかして、キャプテン・ファズマが「I am your mother 私がお前の母だ」なーんて言わないだろうなぁ〜。まあそうなったら笑っちゃいそうだけど。

さあ、15日金曜日を楽しみに待とう。

追記:12月9日に行われたハリウッドでのワールド・プレミア上映後のツイートなどが少しづつネットに上がってきているが、多くの人が今回のエピソード8を大絶賛しているようだ。しかもSWシリーズの中で最高傑作と言われるエピソード5「帝国の逆襲」をも凌ぐシリーズ最高傑作だという声も。そして多くの人がルーク・スカイウォーカーを賞賛している。ということは、ルークはダークサイドに落ちてスノークの配下になるというのは考えにくいか。いっときダークサイドに囚われるが、レイや他の登場人物の力でダークサイドから抜け出し、スノークに大打撃を加えそして死んでいく・・・そういう感じでエピソード9に繋がるのかも? いやはや詮索ばかりしていても仕方ないのではあるが、こうして期待に胸膨らませてあれこれ考えているのが一番楽しいかも。いや、実際の映画を観て、思い切り感動したときのほうがやはり最高だろう。公開が待ちきれない。

『ジャスティス・リーグ』

・『ワンダーウーマン』がなかなか以上に良かったので、DCのヒーローシリーズであるこの『ジャスティス・リーグ』にはかなり期待していた・・・のだが・・・まあ、そこそこに面白いけれど、ちょっと期待しすぎたな。この手の映画に一番に期待する「やったぜ」「サイコー」といった爽快感、満足感というものは、いまひとつというところ。期待しすぎた分だけちとガッカリ。

・出だしからなんとも暗〜い歌詞の歌が淡々とながれる、なんだかこの世にはもう希望も何もない、諦めろ、悪が支配てしまってるんだ、とか言う感じの歌で「ん〜、なんだこれはダークナイトクリストファー・ノーラン趣味をジャスティス・リーグでも真似てるのか、違うだろう、こっちはもっと明るくカッコよく行かなくてはだめだろうと、なにか作品の方向性に疑問が湧く。

・しかし、そのドーンと暗い出だしが終わると、なぜか今度はユーモア、ジョーク混じりの展開に変わる。んー、なんか脚本が迷走している感じ、これは嫌な予感。

・脚本の教科書みたいなものには、よく「主人公の葛藤を描け、人間の深みを描け、そこに観客は惹かれるのだ」とか書いてあるものなのだが、なんだかそういった教科書の杓子定規な教えにしたがって、一人ひとりに無理やり妙な葛藤を組み入れている風でもある。サイボーグはなんで俺をこんなからだにした〜と親父にぶーたれてるし、フラッシュのお兄さんの件とか、アクアマンの王との確執だとか、そしてさらにはワンダーウーマンに「私は昔、愛している人がいた。ずっと・・・」なんて言わせて、バットマンに「何百年もそんなことに縛られて生きてる奴なんか」と、吐き捨てられたり。この辺は前二作に続いて、ダークナイトの成功に少しでもしがみつきたい、あのシリアスな脚本になんとか似せれば当たるかも?なんていう意識が相当に根っこを張っているんではないだろうか。

・もう、コミック映画なんだからそんなシリアスな裏話なんていらない。スカッと面白く話をつなげてくれればいいものを、どれもこれも取って付けたように話の中にポツン、ポツンと挿入しているし。テンポを崩して足踏みさせて、ストーリー展開のリズムをぶちこわしてしまっている。特にワンダーウーマンなんてそんなドロドロ怨念じみた女性の内面なんか付け加えないで、思いっきりバサッと敵をやっつける痛快さを徹底して描けばいいものを・・・至極残念。

・アマゾン部族の島にドスンと降りてきたステッペン・ウルフ、凄い重量感で「お、こいつは強そう」と思うわけだが・・・いや、実際にかなり強い! でも、このステッペン・ウルフの顔に全然怖さがない。そんな強力なダークサイドの悪魔の親玉みたいなやつなのに、なんか全然恐怖感が湧いてこない。顔がね、顔がシワクチャ年寄りって言う感じだから、全然強そうに見えないし、怖さがないんだよねぇ。観客恐怖心をもたせるくらいのキャラにしないとだめでしょ。最期はなんかパラデーモンに食いつかれてウギャーなんて叫んでるしさぁ。

・そうそう、アマゾン部族の女王が馬の下敷きになってうごけなくてウーンウーンっていうのも変。あれだけ強い戦士だったのに。本来なら足で馬を宙に蹴り上げてしまうくらいじゃなきゃおかしい。

・そういった首を傾げるような登場人物の描き方に、観ていて不満タラタラであったが、流石にスーパーマンの部分はカッコイイし、ちょっと涙ウルウルくるいい話。最終兵器を出せ!ってロイスを引っ張ってくるあたりはもうあまりに予定調和的に想像できてしまうが、ロイスを見て荒れ狂うこころが落ち着きを取り戻すってのはイイね。(でもキューブを使ってスーパーマンを再生するくだりはなんかチャラいし無理がある)

・と、まあ気に食わないところばかり羅列してしまっているが、一先ず一本の映画としてはそこそこに楽しめはする。ワンダーウーマンがかなり以上にいい出来栄えで、大満足だったので、ジャスティス・リーグにもかなり期待したのだが、その期待にはかなり及ばなかった。

・「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」も次から次へと出てきて、話を追いかけるのば面倒くさくなってきてるし。(お次のブラックパンサーはどうよ??)、「DCエクステンデッド・ユニバース」は第一作、第二作と失敗して、ワンダーウーマンでドンと花火が打ち上がったが、今回のジャスティス・リーグを観ると、今後の展開もごちゃごちゃDCと同じように面倒くさくなりそうだな。

・アメコミのファンってわけでもないし、逐一細かな設定まで追いかけてるようなオタクでないかぎり、段々と話がわけわからなくなってくるから、今後のこういったシリーズは横目でチラチラ観ている程度でいいかも。

:W640


☆予告編で使われていた「あなたを待っていました」っていうシーン。あれはカッコよかったんだけど、本編ではそのあたりが全部カットになっていた。んー、残念、またソフトにしたときに未公開シーンとかディレクターズカットとかで出すつもりなのかね?

ブルース・ウェインがアクアマンに「お前って、あれ、触手みたいなもの出せるのか?」とか聞いた後に、ジャスティス・リーグの5人が地下のようなところに集まって雑談みたいなことをしているシーンがあったが、そこでアクアマンが、1人でべちゃくちゃ喋ってるシーンがあり、その後になんだかウーンウーンとトイレで気張っているようなことをして・・・すると次に光るムチが出てきてそれをワンダーウーマンに渡す。アクアマンはフラッシュに「黙ってろよ」なんていう一連のシーンがあったのだが、なにかコミックでこういうエピソードでもあるのかな? どうもアクアマンがウ◯チみたいにムチを体から絞り出してるような雰囲気でもあったな。w アクアマンが喋ってるシーンは上半身だけ映してて下の方はなにやってるのかわからないし、ひょっとしてカットされたのかもしれないけど・・・あそこ、疑問。

☆日本のCMは酷いね。ワンダーウーマンのときも女性のカッコよさを出すんじゃなく、ギャグ路線で予告編作って外してるなぁと思ったが、今回のジャスティス・リーグの予告編もワンダーウーマンのへんてこな顔とか仕草をわざわざ集め、ナレーションも採用!採用!って、どんだけセンスのないトレーラー作ってるんだよ日本は、と呆れ返るね。なんでワンダーウーマンがこれだけヒットしたのかってところが全く考えられていないじゃないのかね。女性ヒロインの最高のカッコよさ、強さが人を惹きつけた最大の要素なのに、それとは逆にギャグ、コケティッシュおちゃらけ、そんなもので宣伝打ってる。そして同じことをジャスティス・リーグでもやってる。どうしょうもない。

☆スーパーマンは流石にカッコいいが、やっぱり映画の中ではワンダーウーマンが光ってるな、あの変な過去の告白シーンはいらないけど。
:W640

『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』

・第一作に続き、この第二作ももうどうしょうもない。

・「ワンダーウーマン」がなかなかに良かったので、シリーズ的に前作に当たるが未だ観ていなかった「バットマンVSスーパーマン」を観てみたのだが・・・。

・やっぱり暗くてなんかやだね。キッパリその一言に尽きる。なにせ、シリーズ第一作に当たる「マン・オブ・スティール」がどうしょうもない一作であったから、それに続く「バットマンVSスーパーマン」も、どうせ下らないだろうと観ないでしまっていたのであるが(予告編やCMも「エイリアンVSプレデター」みたいに、ただ人気のキャラを戦わせてるだけというおうな、なんだこりゃと言いたくなる程に酷かった)まあ予想通り溜息がでるような話であった。

・アメコミの二大巨塔であるマーベルとDCのうち、マーベルはスパイダーマンから始まって、アイアンマン、アベンジャーズとどんどんヒット作を量産し、イケイケドンドンの状態なので、DCとしてもそれをただ指をくわえてただ悔しがっているだけではならぬと奮起したのはいいのだが、新しいシリーズを生み出す方向性を完璧に間違えてしまっているとしか思えない。

クリストファー・ノーランに頼んだバットマンシリーズは、ノーラン独自の味付けで、今までのアメコミのイメージから離脱し、非常に重く、真面目、現実的な路線に大きく舵を切り、それが「ダークナイト」で超特大の大成功を収めた。DCとワーナーとしてもその成功の味が忘れられないから、もう一回ノーランの手法に乗っかって、自分たちの持っているヒーローシリーズをまったく新たなものに作り変えて大ヒットをさせたいと期待しただろう。だから「ダークナイト」で思い切りシリアスで現実的な映画にバットマンを作り変えたやり方を、もう一度ノーランにやってもらって、事を上手く運ぼうとしたのだろう。だが、それは大いに裏目に出た。マーベルを真似て自社ヒーローでシリーズ化を狙った最初の作品である「マン・オブ・スティール」は映像は充分に良いのだが、話が・・・コミックで親しんでいたスーパーマンのイメージを全く踏襲せず、いかに現実的に見せるかというところにばかり拘って、「このシリーズのスーパーマンはこういうことになりますから、今までの話とは違いますよ、今までのスーパーマンは忘れて下さい」とでも言っているかのようで、スーパーマンの出自やSマークの意味も、無理やりこじつけたとしか言いようのないとんでもストーリーをさも平然と観客に披露した。しかもそれが押し付けがましく、またクリストファー・ノーランの今までの作品にあまりにも似すぎ「ダークナイト」の成功体験をそのままスーパーマンに移し替えたような、ノーランの手垢がべっとりこびりついているような作品であった。

・大ヒットし評価の高かったダークナイトの味付けで、ストーリーも同じようにしてバッドマンをスーパーマンに置き換えて映画を作れば観客に受けることは間違いないだろう。DCのヒーローシリーズの第一弾として大成功を収め、その後にどんどんヒーローシリーズを量産してマーベルを凌いでやるんだ。と舌なめずりをしたが、大いなる大失敗となる。

・もともとスーパーマンバットマンはアメコミのヒーロでも陽と陰をあらわす代表のようなもの。明るく健やかで健康的なスーパーマンに、暗く陰湿でダークなイメージのバットマンを重ねるとは言語道断。観客はなんだこれは、今までのイメージを無視するにも程がある!とそっぽを向いたわけだ。

・ハリウッドのマーケティングなんてそんなもの、元々暗いイメージのバットマンを雲が覆いかぶさっているような暗く現実的な映画にしたのは筋としてあっているが、普通に考えたらスーパーマンをその筋に重ねるなんてしないだろう。単に「こっちで大ヒットしたかあ、あっちでも同じやり方にすれば当たる」というような短絡的な考えしか見えてこない。

・この最初のとんでもないミスでDCコミックのシリーズ映画化には急ブレーキが掛かる。「マン・オブ・スティール」の続編製作は延期になり三年も掛かってようやく『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』に辿り着いたわけだが、前作のイメージを引きずった第二作も、アメコミヒーロー物であるから、そこそののヒットにはなるが、期待された大ヒットには程遠いもので終わる。

・映像的には文句無いクオリティーなのだが、ストーリーが・・・相変わらずのノーマン節爆裂。(監督は違うのにそういう方向にさせられてるんだろう。またはノーランが指揮してる?)
どう考えても「ダークナイト」に似ているストーリー展開、キャラクターの配置。観客はそんなに甘くない。なんだこれはとスクリーンを見ながら不満が溜まっていったことだろう。

・まあ、これじゃダメだというところは山のようにあるのだが、いかにもなノーラン節というのが「バットマンVSスーパーマン」にもお決まりのように出てくる。そしてお決まりのようにガッカリさせられる。またこんなこと繰り返しやってるのかよノーランは、と。「ダークナイト」のジョーカー、「ダークナイト・ライジング」のペイン、こんな奴とっととやっつけてしまえと思うキャラクター設定でありながら、まさに無理に生き残らせる。普通ここでバーンとやってしまえばやっつけられるだろう、殺せるだろうと思うのに、それをしない、させないなんとも煮え切らないストーリー。もうワザと殺さないで生き残らせてるんだろうっていう作りのあざとさがバレバレで感じられるから白けてしまう。それがこの作品でもまたレックス・ルーサーJr.で同じことをやってるんだから、見ている途中でオイオイまたこれやってるのかよと頭にきてしまう。スーパーマンはレックスビルの屋上でルーサーをぶち殺しちゃってもぜんぜん問題ないじゃないか。スーパーマンの能力があれば育ての母であるマーサが監禁されている場所なんて見つけられるだろうに。だれだってそう思うに違いないのに、ルーサーが「俺を殺したら母親の居場所はわからなくなるぜ」なんて幼稚なセリフを吐かれて手も足も出せずルーサーを逃してしまうスーパーマン。こういうところが馬鹿げているんだよなぁ。もうわざとらし過ぎて嫌悪感バリバリのシーンだ。ノーランの映画にはこういうお馬鹿シーンが必ず入っている。それまできっちりシリアスにリアルに映画を構築してきているというのに、こういう誰が見てもそりゃおかしいだろうという現実的には合わないシーンが、話の展開のつじつま合わせの為にはいっていて、それでガクンとトータルのクオリティーを落としてしまう。ノーラン病とでも言うべきアホさ加減であろう。それが「バットマンVSスーパーマン」でも予想に違わず出てきたので、ほとほと溜息。

・この映画のストーリーの基礎となるところは、バットマンがスーパーマンによって自社ビルを壊され、社員も死に、そこからウェインはスーパーマンを殺してやるというほどに憎むようになり、財力をふんだんに使ってスーパーマンをやっつけようとする、のだが・・・・途中スーパーマンが母親の名前を呼んだだけで、なんでお前それ知ってるの? と、それだけであっさりスーパーマンと和解して仲直りをする。ここまで激突繰り返してきたのが全部エッという驚きとともにチャラになる。これもまたノーランらしいズボラな手前勝手な自己中のストーリー展開。(まあ、ノーランは監督ではないけど)

・クリプトン星人を蘇らせるにしても「その行為は禁止されています」と警告を受けながら「元老院はもうないんだ」というルーサーの一言で、人工知能が「はい、それではやります」と人間のルーサーにへいへいと従っちゃってるのも馬鹿げてるし。バットマンがあれだけブクブクのスーツというのも見るからに格好悪いし。モンスターも、なんじゃこれはウルク・ハイかトロールかっていうなんの目新しさもないハルクの奇形みたいなデザインだし。(デザイン以前の造形かも)

・ということで唯一この映画のなかで心が踊ったのは、やはりワンダーウーマンが登場するところからだな。ワンダーウーマンにはバットマンやスーパーマンみたいにドロドロ、ネチネチしたところがなく、スッキリ爽やかカッコイイ、アメコミ・ヒーローがそのまま描かれていて非常に好感が持てる。

・まあ、見なくてもいいやと放おっておいたこの作品だが「ワンダーウーマン」が非常に良かったので、前作からの流れをつかむためにと見てみたが、やっぱダメだねこの映画。前にも書いたが、DCとワーナーはマーベルの大成功に歯ぎしりして、なんとかこっちも大ヒットシリーズを作ろうと、ジャスティス・リーグの構想を思いついたのだろうが、「ダークナイト」でのクリストファー・ノーランの大成功にうつつを抜かし、きっちりとしたマーケティングも行わず「ダークナイト」の手法で「ジャスティス・リーグ」を構築しようとした、そして、それは第一作目「マン・オブ・スティール」で出だしから大コケし、第二作の「バットマンVSスーパーマン」でなんとか形勢逆転を図るが、結局「ダークナイト」成功の甘い呪縛から抜けだせず、またしても大コケ。ひょっとしてこのシリーズもう途中打ち切りにするんじゃないかという状態まできたところで、この方向性で次もやったらもうオシマイだと気がついたのだろう。そしてノーランやら「ダークナイト」の呪縛からまったく切り離された女性監督パティ・ジェンキンスを採用して、リアリティーだとか、社会風刺だとか(まあそういうものもあってもいいが)それよりも本来のDCコミックが持っていたヒーロー物の良さ、アメリカ人に人気があった理由をねじ曲げず、伸び伸びと映画で表現したほうがやっぱりいんだろうと彼女に思いっきり自由に「ワンダーウーマン」を撮らせ、それがなんと全米で大々ヒットになったわけだから、今にしてジャスティス・リーグ最初の二作がなぜ失敗したのかに気がついたということだろう。愚かである。

・さてと、今年の秋にはついに「ジャスティス・リーグ」が公開されるが、「ワンダーウーマン」のこれだけのヒットを目にした後では、もう「ジャスティス・リーグ」をまたノーマン流の暗く陰鬱な方向を踏襲して撮るということはないだろう。それをやったら更にバカでしかない。幸いにして現時点で公開されている予告編を見る限りにおいては「ジャスティス・リーグ」はノーマンと「ダークナイト」の呪縛から離れて、というかもうそんなのダメだ、ヤメたヤメたあんな暗くてしかも当たらない作風なんて・・・と、考えを改めて、純然たるアメコミの良さを楽しさ、ワクワク感を映画に持たせているように感じる。BGMがカム・トゥゲザーっていうのもイケてる!!

・さてどうなるか、期待したいところだけどね。

ワンダーウーマンのこの登場シーンは最高!!

『ワンダーウーマン』

●どうにも「スーパーガール」とか「キャット・ウーマン」とか女性主人公のアメコミ映画はなんかいまひとつという印象があって、アメリカで大大ヒットということだが、ホント? どうなるかな? とちょっと疑いの目を向けつつ観た。しかし予想を超える面白さで、これはなかなかに良かったね。

●時代背景が第一次世界大戦の頃というので、うっそ、あんな格好したワンダーウーマンがそんなところに入ってきたら、メチャ違和感バリバリで、もう全然合わないでしょう・・・という予想もしっかりひっくり返された。あのアマゾネスの格好をしてドイツとイギリスの戦闘シーンにとびこんできても、まったく変な感じがせず見ることが出来た。

●映画の作りが非常に巧いね。

●正直なところ、このワンダーウーマンの役をキャプテン・アメリカやマイティー・ソーに置き換えたら、まあそれはそれで通用する似たような映画になるだろうなとは思った。ピョンピョン飛び跳ねて盾で銃撃よけて、もの凄い力で戦車をひっくりかえすなんて、そのまんまキャプテン・アメリカとかマイティー・ソーでやりそうな映像だ。だが、だがだ。そうは思うもののやはりガル・ガドットが演じるワンダーウーマン銃火器をはね除け、戦車だろうが悪魔だろうがぶっ飛ばされようがなにしようが再び起き上がって戦うシーンは、それが女性ということもあるだろうが、キャプテン・アメリカやマイティー・ソーが同じことをするよりもはるかにワクワクするし、ようしヤッターという気持ちになる。

●同じシーンを演じたとしても、ワンダーウーマンがやるほうがきっと胸躍るのだ。実際そうだった。

ガル・ガドットはもう三十路過ぎてるから、たしかに美人だけれど、アップになるとちょっとオバサンが入ってるのは否めない。でもそのくらいのほうがリアリティーが出るというものかな。キャピキャピとしたアイドルチックな女性が演じてたらこのワンダーウーマンの魅力はでなかっただろうし。

●脚本も設定もいかにもという感じで定番中の定番、アメコミらしい展開。だがそれが王道でもあるだろう。中盤ちょっとまだるっこしいところはあったが、ワンダーウーマンが戦うシーンは満点をやってもいいくらいワクワクしたし、応援したくなる巧い作りだった。

●相手役の男性がいまいちパッとしないところもワンダーウーマンを際立たせるには役立っていたか。それにしても最近は飛行機でバーンというケリの付け方が多いな。昔は高いところからドーンと落とすが定番だったけど。

●なんだか日本のプロモーションが乃木坂46のへんな曲つかったりして、また馬鹿らしいことやってて非難浴びてたり。日本版のポスターや予告編なども、ちょっとギャグっぽいおふざけ方向に振っていて、どれもこれもダメダメじゃんという感じ。アメリカで大ヒットなのに日本での出だしがイマイチなのは、プロモーションが下手クソな上に方向を間違ってるとしか言えまい。なんとかウケ狙いで客をよぼうとしてるんだろうが、それが大いに逆引き。
アニオタとかに客層考えてこんな絵柄とコピーにしたのかね。日本版の予告編もそうだけど・・・作った連中はこの映画ホントにちゃんと見てるのかねと言いたくなる。

●かなり真面目にカチッと作ってあるし、ワンダーウーマンという女性がかなりカッコイイんだから、おふざけウケ狙いの馬鹿げたトンチンカンプロモーションなんかせず。(実際に大失敗だとおもわれ)こんなポスターのように、超カッコイイ、女性キャラクターとして宣伝すればもっと違う結果になっていただろう。
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